敦賀2号機廃炉へ?、原子力規制委の判断の異様さ

石井孝明
ジャーナリスト
(写真)日本原電敦賀2号機(筆者撮影、2013年)

原子炉が行政判断で廃炉に?

日本原子力発電の敦賀2号機(福井県敦賀市)の敷地内活断層をめぐり、原子力規制委員会が、「活動性を否定しきれない」との見解を示した。この2号機が廃炉に追い込まれようとしている。

一行政機関が原子力発電プラントの存続を、その機関の判断だけで決めてしまう。国策の行方、そして民間企業の経営を左右する。これは行政による財産権の侵害である。そして、このおかしさを誰も騒がない。政治はこの決定に介入しない。

このままでは、日本でエネルギー、原子力事業などできなくなる。政治の介入、そして再審査を求めたい。

有識者「拙速な判断は避けるべき」

2011年に発生した東京電力の福島第1 原発事故の反省から、原子力発電所の安全審査体制が見直された。審査を担う原子力規制委員会が発足し、その下に原子力規制庁が置かれ、新規制基準が2013年7月に施行された。

そこでは原子力プラントの炉などの主要設備が「活断層の上にあってはならない」と規定されている。ここでいう「活断層」とは 約12万~13万年前以降に活動、つまり地震を起こした断層と、規制委はいう。

敦賀2号機は国による建設の認可が出て建設され、1987年に営業運転を始めている。その後に、この近くにある活断層(浦底断層)につながる断層(審査では便宜上「K断層」と呼ばれている)が見つかり、その活動性が議論されてきた。そしてそのK断層から派生したひびが、原子炉の下に続いている可能性を規制委は指摘している。

2012年から専門家委員会と称する、法律上根拠のない組織ができた。当時の反原発の世論の中で反原発活動をしている地質学、地震学の学者がそこに参加した。そこでの議論は混乱したが、K断層が活断層であると「否定できない」というあやふやな結論が2014年に出た。その結論は参考にとどまり、原電の新規制基準に伴う申請は認められた。その審査の中で、K断層の問題が再び蒸し返された。

規制委は今年6月の審査会合で、「K断層の活動性に係る説明が終了した」と、打ち切りを示唆する見解を示した。原電は引き続きK断層の活動性に関わる追加調査に取り組む意向を示しており、審査の継続を求めている。

有識者からは「K断層のデータが不足しているのに拙速な判断は避けるべきだ。さらなる調査が妥当で、判断ミスが起こりかねない」(奈良林直・東京工業大学特任教授)との指摘もある。

「悪魔の証明」を事業者に迫る

こうした一連の規制委員会の審査活動に、私は三つの問題があると思う。審査の元になる新規制基準の妥当性、審査内容の妥当性、審査の仕組みの妥当性だ。

私は素人だが、次のような疑問をプロである規制当局が一般人に抱かせてはいけないだろう。行政活動とその判断は誰もが納得できる公正性、そして合理性がなければならないはずだ。

第一の問題は一連の審査の基準の妥当性だ。

新規制基準では、活断層は「12万~13万年前」から動いていない断層とされる。それほどの昔は、現生人類が「ホモサピエンス」という種に別れ、世界に散らばり始めたころになる。現在からは想像することも難しい昔だ。古いほど地震の有無を示す証拠は少なくなり、状況証拠からの推測の要素が大きくなる。そのために、審査は難航した。

そもそも、この古さの選択は恣意的で、これが数万年前だとしても原子炉の安全性にさほど影響はないとの意見が以前にあった。

この審査をめぐる議論の「無意味さ」に私はうんざりしている。私はこの2012年からの議論を、一部ではあるがネットで傍聴したり、資料を取り寄せたりして調べた。私は地質、地震学の素人だが、無意味で不毛な議論を規制委員会、規制庁は続けているように思えて、聞いていて虚しくなった。可能性を延々と議論をしているのだ。答えが出るわけがない。

仮に活断層であっても、安全性を確保する補強工事の方法がある。米カリフォルニア州のディアブロ・キャニオン原発は、完工後に原子炉の近くに活断層が1980年代に見つかった。それに対応する補強工事をして現在も運転されている。

第二の問題は、規制委の審査内容だ。審議の結果出てきた「活動性を否定しきれない」と言う規制委の見解は、非常に曖昧だ。これは日本原電に、地震がなかったことの証明を求めている。これは一種の「悪魔の証明」だ。

これは「存在しないこと(例えば悪魔)の不存在を証明することは非常に難しい。そもそも証拠がないためだ」ということを述べた論理学の言葉だ。それを一事業者に行政が行わせている。これは行政による権限の濫用だ。
こんな不毛な議論を続ける前に、別の地質の判定方法を探り、地震に対応し安全性を確保して原子炉を運転する方法を考えることが妥当ではないか。

規制委の独善、判定の仕組みのおかしさも

第三の問題は規制委の判断の独善性だ。原子力規制委員会は地質や地震をめぐる問題を、この規制委員会の単独の判断で決めている。前述のように、推測の面が多い審査なのだから、専門家の多様な意見を聞くべきなのに、それをしていない。これは判断を間違える可能性がある。

中立性を持つ専門家に、また海外の専門家を含めて、活断層をめぐる判断を検証してもらうべきだ。どんなに優れた人でも、その判断は間違える可能性がある。それをしなければ、ただの「独善」で危険だ。
仮に原子力規制委員会が、この原子炉を使えないと判断しても、その廃止措置をめぐる規定がほとんど法律で整備されていない。当然、民間企業の財産の使用を停止する以上、補償の問題が浮上する。そして敦賀2号機は一回、国の認可を受けて、1986年に竣工、稼働している。それなのに国の審査による12年もの長期停止によって、日本原電は経済的な損失を受けている。

普通の国なら企業が行政訴訟を行い、国が負ける可能性がある。日本的な曖昧な誰も責任を取らないおかしな状況のまま、ずるずると時間が経過して企業が損失を拡大している。それは電力サービスを受ける国民の損になっている。これは明らかに行政のミスだ。

国の政策は「脱炭素」のはず

こうした仕組みを放置している、原子力規制の制度を作った国会、行政の長たる内閣。

上述の指摘を知れば、誰もが常識から見て「おかしい」と思うだろう。原子力規制を緩めろと言う人はいない。福島事故の反省に基づき、原子力発電所の安全な運営をしてほしいと日本で電力を使う人の誰もが願う。しかし原子力規制委員会の、おかしな行動や権力の濫用を認めたわけではない。

それなのに、政治はこの問題行為を国政から地方政治まで放置している。今回はメディアの問題を字数の都合で割愛するが、彼らも、このおかしさを取り上げない。

日本のエネルギー政策の国策は、「脱炭素」「GX:グリーントランスフォーメーション」であり、GXを表明した2022年末に岸田文雄首相(当時)は、原子力の活用をGXの前提として主張した。原子炉の産む巨大な電力は、安定供給、電力・エネルギー価格の引き下げに貢献する。

そうしたその国の進路に逆行することを、一行政機関が勝手に行なっていいのか。

規制委は、「私たちの仕事はプラントの安全性を判断するだけ」(初代規制委員長田中俊一氏)と言う。ところが、その判断の影響はとてつもなく大きい。原子力発電所の新設は大変手間がかかり、その建設費用は最近の欧州の例を考えると一兆円近くになるかも知れない。

また、敦賀2号機はフル稼働すれば年1000億円程度の価値のある電気を作る。そして常時数千人の雇用を福井県敦賀地方に産む。そうした経済効果も、規制委は無視する。

原子力規制委員会は敦賀2号機の適正な審査をしてほしい。そして、その上で、原子力規制の正しいあり方をもう一度、考え直すべきだ。

石井孝明
経済記者 with ENERGY運営
ツイッター:@ishiitakaaki
メール:ishii.takaaki1@gmail.com

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