災害準備で役立つ体験学習-東京消防庁・本所防災館を訪ねて

石井孝明
ジャーナリスト
(写真1)東京消防庁の本所防災館(東京・墨田区)

「天災は忘れた頃にやってくる」。日本は地震などの天災が頻発する国だ。しかも今年は関東大震災から100年だ。しかし、そこに暮らす私たちはこの物理学者の寺田寅彦が作ったとされる警句のように、日々の生活でその危険を忘れてしまう。東京消防庁の本所防災館(東京・墨田区)に行き、災害を疑似体験で学ぶ機会があった。それを振り返りながら私たちそれぞれの命、そして社会の守り方を考えたい。

地震の揺れを体験、東日本大震災を思い出す

本所防災館には地震体験コーナーがある。そこの振動発生装置で私は地震の揺れを体験した。横揺れの震度7、そして縦揺れの震度6の2パターンだ。前者は1923年9月の関東大震災での東京での最初の揺れ、後者は2016年4月の熊本地震での熊本市内での最初の揺れだ。

(写真2)本所防災館の地震シミュレーター

私は地面が揺れると、事前に分かっていた。そして最初から座っていた。しかし振動が始まると、気味悪さと不安を感じた。立っていたら、大人でも転ぶだろう。実際の地震と同じように揺れの時間は数十秒だったが大変長く思えた。また直下型地震では、体が上下に動かされ、それも気味が悪かった。疑似体験で精神が動揺するのだから、未体験で大地震に直面すると、誰でも大変なショックを受けるだろう。

2011年3月の東日本大震災を、私は東京の自宅マンションで体験した。その時の揺れた際の不安を思い出した。この地震は東京では震度5強だが揺れに家が潰れるかと思って、建物を出て庭で静まるのを待っていた。また震災直後に取材で福島や東北に行った。住民の方から、地震や津波の被害の怖さを聞いた。しかし東日本大震災から12年が経過し、私は自らの貴重な体験を、この揺れまで忘れていた。

忘却は良いこともある。災害の体験は、それが記憶に強く残り、恐怖を抱いて生き続けることは辛い。しかし忘れることで災害への警戒が薄れてしまう。こうした体験で、経験者には再警戒、そして未経験者には体感による知識の獲得がもたらされる。とても意義深い。

地震体験は、東京の池袋、立川にもある防災館でできる。また各地の自治体でも体験できる設備を持つところがある。機会あれば、読者の皆様も、実際に体験してはいかがだろうか。

火災、暴風雨、都市水害の危険を体験で学ぶ

この地震体験を含めて合計4つの体験学習を、この防災館で受けた。

2番目は火災の体験だ。真っ暗な廊下で水蒸気による煙が発生する。その中を歩きながら、出口を探す体験だ。私は急いで無理に進んだために、頭を壁にぶつけてしまった。火事で脱出する歩き方を、事前に学んだ。煙を吸わないように身をかがめ、一つの手を前にして障害物にぶつからないようにして、もう一つの手を壁につけて確認して進む。急ぐべきだが、慌ててはいけない。私は、それをしないで進んでしまった。

3番目は、風水害の体験だ。雨合羽と長靴を貸してもらい、完全防水の上で、人工的に作る風速30メートル1日降水量50ミリの暴風雨を体験した。その風と雨で立っているのが難しく、隣の人と会話ができないほどだった。このレベルの暴風雨は地球温暖化のためか、集中豪雨が多発して日本では、珍しくなくなりつつある。こうした暴風雨の際に、外出することは危険だと、体で理解した。

4番目は、都市水害の体験だ。水害で冠水したときに鉄の扉、車の扉を開ける場合に、どの程度の力が必要かを実際にドアを開けて試した。実際の水はないが、冠水10センチ、20センチ、30センチの重さを体験した。30センチになると、大人の男である私も開けることは難しかった。30センチの冠水の場合に鉄や車の扉には、300キロ以上の負荷がかかるという。閉じ込められる前に、早く脱出しなければならないことを理解した。

今年は関東大震災100年-過去の体験も参考に

いずれの体験でも、ビデオやプロジェクションマッピングによる詳細な説明があった。そして以下の3つの順に、それぞれの災害で説明があった。「1・災害はどうして起きるの?」「2・起きたらどうなるの?(二次災害は?)」「3・起きる前にするべきこと、起きたらするべきこと」が示された。これは、災害で私たちが常に配慮すべき問いかけだ。

ちょうど100年前に起きた関東大震災を経験した当時29歳の女性の手記をまとめたビデオを、体験学習の最初に見せてもらった。

映像資料「ノブさんからのメッセージ 手記に学ぶ関東大震災


この女性は当時29歳で、大工の夫、2人の子供と関東大震災を体験した本所に住んだ松本ノブという女性の手記の紹介だ。夫は一緒に逃げた後で、貴重品を取りに家に戻り、火災に巻き込まれ、亡くなったという。

関東大震災は午前11時58分に発生した。当時は家で煮炊き、暖房、お風呂に使うため、石炭や木炭を燃料に火を使っていた。そのためにそれが転倒して。大震災の直後に東京各所で火事が発生した。

人々は川、そして強風の中で風上に向かって逃げたが、大八車や馬車で道は混雑、特に橋で動けなくなってしまった。ノブさんら3人は、本所の陸軍の倉庫前の広場に逃げた。そこで火災旋風に巻き込まれそうになった。風の強い日の火事だと、広場などで熱せられた空気が上昇して火を伴った旋風が発生してしまうことだ。これは今でも各国の災害で観察される。そして1945年3月10日の東京大空襲で、同じように避難者が、ほぼ同じ場所で発生した火災旋風で多数の人が亡くなった。今は東京都慰霊堂になっている。

そしてノブさんは、その後の人々の支援、国や隣同士の共助に救われたという。その恩返しと教訓のために記録を残した。全く災害準備が無かったことの反省、そして共助の大切さを彼女は主張している。また

その女性は、地震や火災についての知識がなかった。そして災害での事前準備の大切さと、人々の共助のありがたさを後世に伝えるために手記に残したという。これは時代を超えて、参考になる体験と教訓だろう。

ここは世界各国から人が訪問している。私と同じ見学時間には、フランス人、中国人が来ていた。フランス人は「自分の住むパリには、地震がない。そのために学校教育にもない。今日の知識は全て新鮮で驚いた」と話していた。中国人も「中国では最近、子供が地震などの天災での対応が教えられるようになっている。日本人が、昔の経験や知識を伝えるのは、とても良いことだ」としていた。

東京の本所地区(墨田区南部、隅田川東岸)は、昔から都市災害に直面した。少し歩くと回向院があった。ここは明暦の大火(1657年)の約10万人の死者を弔うために作られた。関東大震災、東京大空襲でも多数の死者が出た。「鬼平犯科帳」で知られる、江戸時代の特別武装警察機関だった火付盗賊改の長官(ひつけとうぞくあらためのかしら)の長谷川平蔵(1745〜1795)は、若い時にここに本所に住んだ不良だったという。江戸幕府は火事を警戒し、放火犯をこの組織が切り捨てることを認めていた。こうした歴史を思うことも、体験を印象付けた。

近日中に起こる災害、準備に必要な考えとは

日本は地震多発国で、近い将来の東海地震、南海沖地震の懸念がある。地震などの大規模災害は、近日中に、日本に住む誰もが経験するはずだ。

配慮と準備は必要だ。そして体験学習は、災害が現実になった場合の心の動揺、被災の拡大を少なくするはずだ。前述の問いは、事前に考えるべきことだろう。

1・災害はどうして起きるの?
2・起きたらどうなるの?(二次災害は?)
3・起きる前にするべきこと、起きたらするべきこと

これらを事前に知り、準備することで、災害への対応は違う結果になる。

石井孝明
経済記者 with ENERGY運営
ツイッター:@ishiitakaaki
メール:ishii.takaaki1@gmail.com

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