賢すぎるAI、ChatGPTを使ってみたー書く営みが変わる

石井孝明
ジャーナリスト
(写真)AIの進化が早まり、社会の姿を変えている(iStock/metamorworks)

賢すぎるAI(人工知能)チャットのChatGPTを使ってみた。昨年12月にリリースされ、無料で一般公開されている。その性能の進化は驚くもので、人の「書く」「話す」という営みを根底から変える予感がする。同時に自分の記者という仕事の価値が低下し、将来に何がリアルか信じられなくなりそうな不安を感じている。

AIのぎこちない会話が消えた

ChatGPTは米AI開発のOpenAIが昨年12月1日にリリース。すでに100万人以上の会員がいるという。現時点では無料だ。IT企業は今年になって、業界の成長鈍化で、米国ではメガIT企業が人員削減をしている。しかしマイクロソフトは、同社への増資を計画しているという。期待の技術だ。私はIT技術に詳しくないので、使い方とその能力のことしか示せないが、その仕組みは簡単だった。会話を打ち込むと答えてくれる。

試しに2つの質問をしてみた。

「日本の原子力事情を日本語で説明して」。すると以下の答えが返ってきた。

(写真1)ChatGPTより

「日本の新聞の経営事情を日本語で説明して」。すると以下の答えが返ってきた。

(写真2)ChatGPTより

原子力や新聞について、詳しい素人や専門家が見るとやや内容が薄いレベルの答えだろう。しかし何も知らずにこのレベルの答えを即座に書ける人は少ないはずだ。社会の大半は、このレベルの答えで十分なはずだ。

もう少し質問を難しくしてみた。「日本の岸田文雄首相が、習近平中国国家主席と日中首脳会談をした時に、相手に言ったジョークを考えて、日本語で返事して」

すると以下の答えが返ってきた。さすがにひねった思考はできないが、一応返事はしてくれた。返事としては、普通の人の会話レベルだ。

(写真3)ChatGPTより

(和訳)申し訳ありませんが、私は言語モデルとして、政治指導者による特定のプライベートな会話やジョークに関する情報を持っていません. 通常、私が入手できる情報は、公式声明と公式コミュニケだけです。

これまでのAIのぎこちなさがかなり消え、自然なやりとりが複数言語でできるようになった。これが音声と連動すれば、人類を分断してきた言葉の壁も消えてしまう。

文章で成り立つ現代社会が変わる

「このすごい技術で変わる」という話を、どの人も何度も聞いてきただろう。しかし技術が商用化されるまで時間がかかるし、その変化はゆっくりで限定的だ。しかし、このAIチャットは、その他のAIのコンテンツの進化と合わさって、社会を早く、大きく変えていくと思う。昨年から、画像・映像の編集や作成を、AI(人工知能)が簡単に行えるサービスがいくつもリリースされ話題になっている。この進化に文字が加われば、仮想世界の領域が広がる。

これまでのIT技術は、基本的にネットで、人が作ったコンテンツ(制作物)を検索で探し、それを示し提供していく仕組みが中心だった。Google(グーグル)のビジネスは、それで成り立ってきた。ところがChatGPTなど、直近のAI技術は全て仮想世界で、人間の指示通りに、高度な内容のコンテンツを創造する。仮想空間の中で全てが完結し、人の手が必要なくなり、現実と仮想の区別がつかなくなっていく。

特に文字と文章の制作の革新は影響が大きい。普段は意識しないが、私たちの社会や文明を成り立たせているのは文字と文章だ。このChatGPTのサービスは、人間しか創造できないと思われた言語を使った領域の活動を、AIが担えることを示している。そして世界を分断していた言語の壁も簡単に乗り越えてしまう。書く、話す、調べるが、変わっていく。

人は行動と仕事で文章を書かないようになる

具体的にChatGPTは、現実をどのように変えるだろうか。

アメリカの高校生、大学生は、小論文を昨年末からChatGPTを使って書いて、教師に怒られているという。書くことが、人の手を離れ始めている。これが普及すれば、人が文章を書かなくなるだろう。

企業の接客は変わる。企業は人と接すること、調べること、書くことで大量の人を雇ってきた。それが必要なくなる。また現代の企業活動や行政は実は文章で運用されている。ルール、次の行動の基礎になる記録、法律文章などだ。それらが、AIの執筆した文章に置き換わっていく。

専門職はAIが進んでも人しかできないことが多いので、仕事は守られるとされてきた。記者職などはそう言われた。しかし、その見通しは甘かった。

私は記者として仕事をしてきた。日本の場合に「日本語障壁」や「記者クラブ制度」などの権益に守られてきた。それが崩壊しつつある。この人工知能による文章によって、それが加速するだろう。現にネットメディアのバズフィードは、米国で記者をAIに置き換える方針を示している。人との接触で情報がやり取りされる取材は少しは残るだろうが、その領域は狭まっていくはずだ。記者だけではない。文字で仕事をしてきた文系専門職は、その仕事の大部分は不要になっていく。

仮想に囲まれる居心地の悪さ「現実はどれ?」

文章を書き、編集者として添削を続けた経験から見ると、分かりやすく正確な、人に読ませる文章を書くのは大変で、訓練が必要だ。それを放棄できるなら、喜んで、何もしない人が社会の大半だろう。人が文章を人間が書かなくなる。また他の言語を学ばなくなる。その変化が人間の新しい分野の創造につながるか、知的退化につながるかは、私は見通せない。

作家の村上春樹さんは文章について、エッセイ集「村上朝日堂」の「文章の書き方」という節で、「どんな風に書くかというのは、どんな風に生きるかというのとだいたい同じだ」と書いている。作家の彼にとって、書くことはそれほど重い行為だ。しかし誰もが村上春樹レベルの小説や文章を書く必要はない。世間の大半の文章は、商品説明や法律など事実だけを示せばいいものや、個人の感想などのどうでもいいものだ。そうした文章作りはAIに置き換わるかもしれない。

村上さんほどの能力も知名度もない私も、物を書くことを仕事にして、自ら意識してその質を上げる訓練をしてきた。それが必要なくなるし、無意味になる。自分の人生が無意味になるかもしれない予感に、ショックを受けてしまった。「私はどうすればいいのか」。技術革新でいらなくなった仕事についている人が過去数千年、繰り返し行ってきた問いを、私自身がすることになるとは…。悲しいことだ。

ただし、以下、時代に取り残された業界の、時代に取り残されたおじさん記者の「負け犬の遠吠え」を聞いてほしい。これで本当にいいのだろうか。

全ての領域でAIの活躍が進む動きに不安を感じてしまう。ネットの向こうにいるのは機械で、人ではないかもしれない。頼れるものは、自分の存在と、自らの近くの半径数メートルの現実世界、見える人、家族、友人だけになってしまう。流れる情報も、社会も、虚構かもしれないのだ。そうした疑心暗鬼の世界に生きていく。何か気味悪く、居心地が悪い。

リアルの大切さというのはあるはずだ。こうした時代遅れの考えを叫びながら、文章を書く、取材をするという古い行為に、記者としてこだわり続けたいと思う。

1 件のコメント

  1. aokit より:

    いゃぁこの程度の例示でこのような論述では、AIにも笑われてしまうだろう。Chatgptがもって来ているものは、どこの馬の骨かわからない情報だ。その点、インターネットにこうしてあふれているさまざまな記事の様相をよく写し出しているとは言える。ただそれだけのことのために驚いてみせるのはまことにくだらない。

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