原電敦賀2号機、規制委「活断層判定」の異様さ(下)-動かぬ政治

石井孝明
ジャーナリスト
原電によるボーリング調査の穴(2015年、筆者撮影)

(上)奇妙な審査から続く

海外から専門家の批判も

第三の問題は審査の仕組みの問題だ。一連の審査は、原子力規制委員会が地質や地震をめぐる問題を第三者の意見を聞くことなく単独の判断で決めている。判断を間違える可能性がある。

原電は、2013年にノルウェーのリスクマネジメント会社、また別に英国シェフィールド大学の地質学のニール・チャップマン教授(当時)らの2チームに、現地の調査を依頼した。いずれからも「原電の主張が妥当であり活断層はない」という判断が出た。チャップマン教授は地球物理学研究では世界の中心的な学会誌である「米国地球物理学連合学会誌(EOS)95号」(14年1月発行)に共同論文を執筆して結果を報告し、「日本の原子力規制当局と事業者、科学者の対話を改善するべきだ」と指摘した。

国際原子力機関(IAEA)の専門家チームは、日本の原子力規制を16年に査定し、評価を公表して「もっと能力のある経験豊かな人材を集め、教育、訓練、研究および国際協力を通じて原子力と放射能の安全に関係する技術力を上げるべきだ」という指摘した。

敦賀2号機の審査の状況を見ると、規制当局の能力面での問題は過去の指摘から改善されていないように思える。制度の上では、専門家による委員会の諮問を得る仕組みがある。規制委は、今回の敦賀2号機を巡る審査では、規制庁の官僚たちの判断のみで、それを活用していない。

日本の専門家からの批判

有識者からは次のような懸念が出ている。「K断層のデータが不足しているのに拙速な判断は避けるべきだ。さらなる調査が妥当で、判断ミスが起こりかねない」(奈良林直・北海道大学名誉教授)。

「判断に専門家の意見が反映されていないし、審査チームに専門家がいない。行政官による規則のしゃくし定規な適用が行われ、問題だらけの判定だ」(奥村晃史・広島大学名誉教授)。

こうした声に、規制委・規制庁は耳を傾けない。中立性を持つ専門家や、また海外の専門家に、敦賀2号機の活断層をめぐる判断を検証してもらうべきだ。どんなに優れた人でも判断は間違える可能性がある。それをしなければ、ただの独善だ。

さらに仮に規制委が、この原子炉を使えないと判断しても、その廃炉の判断をめぐる規定が法律でない。当然、民間企業の財産の使用を停止する以上、補償の問題が浮上する。そして敦賀2号機は国の許認可を受けて20年以上稼働した実績がある。法律の原則「訴求刑罰の禁止」に反する行為と言えるだろう。また政府の審査によって原電は発電できずに損失を被っている。私は原電が国を提訴しても仕方がないと思う。

このような多くの問題を、原子力規制当局が起こしてはいけない。行政活動には誰もが納得できる公正性、そして合理性がなければならないはずだ。

問題から逃げ出した政治家

岸田文雄前首相とその政権は、この原子炉を廃炉にしかねない原子力規制委員会の重大な決定に何も介入しなかった。続いて2024年10月に成立した石破茂首相とその政権でも同じだ。これは日本のエネルギー政策や社会を混乱させる大問題だ。

規制委は、公正取引委員会のような独立性の強い行政機関、いわゆる「三条委員会」なので、政治や他の行政機関は口出しをしづらいが、それでも沈黙はおかしい。

政治の不作為の責任は大きい。24年夏は岸田政権の支持率の低下、そしてその辞職による新政権の誕生と選挙の中で、政府と与党側に政治的に批判をされる原子力問題で動けないという配慮があったのかもしれない。

しかし敦賀2号機の廃炉は日本という国と国民全体の損になる。規制委の田中俊一初代委員長と更田豊志前委員長は「私たちの仕事はプラントの安全性を判断するだけ」と強調し、山中現委員長もそれほど強調しないが同じ態度だ。

しかし、それだけでいいのだろうか。その判断の影響はとてつもなく大きい。敦賀2号機の廃炉をめぐる広がる悪影響を分析してみよう。

高額な原子炉建設コスト

まず原子力の建設コストの問題がある。その新設は大変手間がかかり、現在の日本では難しい。そして費用は高騰している。23年に本格稼働を開始したフィンランドのオルキルオト原発3号機(出力160万キロワット)は建設費用が当初予定の3倍になる約110億ユーロ(約1兆7000億円)にも達した。そんな高額な原子炉を、日本の規制委は簡単に潰してしまう。

日本では電力自由化が進み、火力などの発電設備の建設が遅れがちだ。そのために電力の供給不足が起きている。そして日本のエネルギー政策の国策は岸田政権の設定した、「GX:グリーントランスフォーメーション(脱炭素のための経済の作り替え)」だ。

原子炉の産む巨大な電力は、脱炭素、電力安定供給、電力・エネルギー価格の引き下げに貢献する。敦賀2号機は116万キロワットの発電出力をもつ。フル稼働すれば、市場価格で換算すると年1000億円程度の価値のある電気を生み出せるし、日本の電力の供給状況を改善する。その廃炉の決定をしたことで、一行政機関の原子力規制委員会が、この国策を妨害したことになる。

敦賀2号機では、地元関連企業など常時数千人が働いている。福井県敦賀地方では重要な工場だ。地元の福井県の人々は原子力発電の運用に協力してきた。福井県選出の滝波宏文参議院議員は規制委の決定を批判した。「我が国における原子力立地への理解は大きく後退し、原子力発電の終わりの始まりになりかねない」と、記者の取材に答えた。これに私は同意する。

 

行政機関が問題行為をすれば、メディアは大騒ぎをして批判をする。ところが敦賀2号機をめぐっては、メディアは揃って規制当局を擁護する。私が指摘したような問題点を取り上げているのは産経新聞のみだ。他のメディアは、一方的に規制委の見解を垂れ流す。「〈社説〉敦賀原発2号機 廃炉にするしかない」(東京新聞、24年7月27日)など、廃炉を煽るような記事もある。メディアが権力の尖兵となり、企業の権利侵害を放置する。この光景に私は恐ろしさを感じる。

原子力規制委員会の問題はこれだけではない。東日本大震災の後に、新たな規制体制ができて再稼働を果たした原子力発電所は12基だ。新規制基準に対応するための再稼働を申請した9つの原子炉の審査が現時点で12年も続いている。行政手続法では、国などの行政機関は2年以内に手続きを終わらせなければならない。それが守られず、審査はあまりにも長い。

敦賀2号機と同じように、地震動や地質の問題で合格が出ていない。規制委は原発を安全に動かすより、止めておくことに主眼を置いているように思えてしまう。
敦賀2号機の審査は問題だ。しかしこの問題を産んだ制度と規制委・規制庁の組織の体質を改善しなければ問題は繰り返されるだろう。自民党の「原子力規制に関する特別委員会」は2022年5月に提言を発表した。そこで規制の改善を求め「法改正も視野」としている。

規制委は決定の再考、再審査を

原子力発電所の廃止までを行える過剰な原子力 規 制 委 員 会 の 権 限 に つ い て、チェックをする機関を作る、縮小する、また審査制度を見直す議論を、政治の場、国民の間で始めるべきであろう。

そして、この審査で感じたが、規制する役所の担当者に専門性、そしてコミュニケーション能力のある人材を集めるソフト面の改善も必要に思う。外部の専門家の意見を聞かない、事業者と対立するような現在の審査官の態度は問題だ。

独立が「独善」になっている。原子力規制政策のおかしさは、電力料金の上昇、原子力産業の衰退、技術の喪失など、日本の経済や社会、科学技術をめぐるさまざまな問題を引き起こす。今回の敦賀2号機をめぐる判断は、そうした危険を示すものだ。

そして今行うべきことは、原電の求める敦賀2号機の追加調査、審査継続を原子力規制委員会は認めることだ。さもなければ、日本の原子力政策の未来から、地域経済まで、さまざまな問題が広がっていく。

石井孝明
経済記者 with ENERGY運営
ツイッター:@ishiitakaaki
メール:ishii.takaaki1@gmail.com

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