放射線量の多い福島県産のイノシシ肉を食べてみた

石井孝明
ジャーナリスト

処理水放出を前に、不安を取り除くには

福島県で2023年中をめどにようやく東電福島第一原発で出た処理水の海洋放出が行われることになった。健康被害の可能性はないと、内外の科学者の説明が繰り返したために、反対する人は風評被害の懸念や感情の問題を強調している。

この理由で反対するのはおかしい。人の気持ちを忖度しすぎたら何も進まない。ただし不快感を抱くという面も当然で、それを取り除く方法を考えなければならない。

問題を考える一つの方法として、「食べる」という営みに注目したい。食べるということは、他の命を奪って体に取り込む意味を持つ。文化人類学では、それにより、相手との一体感を抱く事例が数多く報告されている。「食人」という恐ろしい風習も、それを目的に行われることがあるという。理屈や言葉を使っても出てこない、「味覚」「嗅覚」という感覚を食べれば使う。福島で採れた食材を食べることで、問題が違った視点で捉えられるだろう。

福島の食材、また海で取れる魚を食べることで、新しい考えが浮かばないだろうか。東京電力は、処理水で魚を飼育している。また10年間福島沖では漁をしていないので、海産物はかなり豊かに蓄積しているようだ。機会があったら、ぜひ福島の海の魚を食べてみたい。

かつて福島のイノシシ肉を食べた記録を、再編集して紹介してみたい。2014年12月の経験だ。ちなみに私は今も生きていて、健康被害はない。また福島産作物は放射線の管理が徹底され、他地域との値段差はほぼ無くなって風評も消えた。

(写真1)福島産のイノシシの肉を使ったボタン鍋。赤みが多い(筆者撮影)

「食べることで考えるきっかけをつくる」

(以下当時の記事を編集)

東京都内のある場所に12月19日夜(注・2014年)、福島の人を含め10人ほどがボタン鍋を食べるために集まった。東京工業大学助教(当時)の澤田哲生さんが主催した。

福島県伊達市のNPO「りょうぜん里山がっこう」の代表理事である高野金助さんと、田村市に住み、いくつかの周辺自治体で「地域メディエーター」をする塾経営の半谷輝己さんなどだ。2人とも故郷を苦しめた原子力発電には批判的だ。

「食べることで、考えるきっかけをつくる」。それが澤田さんの狙いという。澤田さんは原子力反対の人や、福島の放射線量を危険と叫ぶ人に呼びかけたけれど、残念ながら出席しなかったそうだ。

出された肉は今年(14年)の春先に捕れた若いもの、そして11月に捕れた大人のもの。性別は不明だ。ボタン鍋とはイノシシの肉鍋だ。福島では野菜と共に味噌を入れた出汁(だし)で食べる。イノシシ肉は独特の匂いがあるので、それを消すためだ。

どんな味? 福島産イノシシ

さっそく肉を食べた。私は、イノシシ肉は初めてだ。味は脂身が少ないが、あっさりして多少固い。地鶏と豚を合わせたような食感だ。匂いは味噌のせいか気にならなかった。福島の猟師は秋のイノシシ肉を味が良いので好むという。11月の肉の方が捕れて時間が経っていないこともあって、複雑な味がしておいしかった。肉にうまみ、甘みがあるように思った。

11月の肉の放射線量はキログラム当たり800ベクレル、春先の肉のそれは40ベクレル程度だった。出席者は皆、気にせずに食べていた。私は不安はないものの、食べながら「この肉の放射線量は普通の肉より高い」と、意識は向いていた。考えすぎると食事は楽しめなくなるが、おいしさゆえにその意識も次第に消えてしまった。

私はジビエ(野生動物を食べる料理)が好きではない。偽善と言われるかもしれないが食事中に「動物の命を奪い、その肉を食べている」と、意識することが好きではないためだ。肉食も減らしている。今回は自然とそれを考えた。このイノシシが福島の山林でどのような生活を送っていたのか、想像をめぐらせた。

福島の食の現状-過剰規制で流通阻害

日本は福島原発事故の後の2012年に、食品の放射線量の基準値を、世界で一番厳しくした。1キロ当たり、飲料水10ベクレル、一般食品100ベクレル、乳児用50ベクレルだ。この肉は、それを大きく上回る。(注・2023年時点でも継続中)

国際的な食品規格を決めるWHO(世界保健機関)のコーデックス委員会は一般食品・乳児用とも基準値を1000ベクレルにしており、EU(欧州連合)、米国も、基準は総じてそれに準じる。100でも1000でも健康には影響しない。しかし規制を厳しくすれば、流通には手間がかかり、農水産業、食品業は打撃を受ける。日本でも国の審議会で専門家はそろって、厳しくする必要はないとした。それなのに、民主党の小宮山洋子厚生労働大臣(当時)が政治主導で、反対意見に迎合して、科学的根拠がないのに決めてしまったとされる。

しかし福島の農業関係者は、農作業で注意をして作物を育て、また作物の検査を行っている。そして厳しい基準をすべての流通する農作物でクリアした。悪しき政策の失敗を乗り越えたのだ。

肉はりょうぜん里山学校の高野さんが持ってきた。自分たちで学び、放射線測定のための機材を買い、人々の要請によって、土壌や農作物の計測をしている。福島では、放射線のことに触れようとしない人も多いそうだ。しかし高野さんは「正確な事実を知りたい」と正面から現実に向き合っている。

2頭のイノシシは、伊達市内の別々の場所で捕れた。原発事故による放射性物質の拡散状況は、土地によってまったく異なるし、野生動物の行動も異なる。そのために肉の線量も違う。イノシシは事故後に捕らなくなったためにかなり増えたが、昨年(13年)に地元猟友会などが大量に狩って、かなり減ったそうだ。

半谷さんは「地域メディエーター」をしている。放射能問題で、専門家や行政と一般の人の中間に入り、双方の意見を伝える仲立ちをする。「行政がやればいい」と、その仕事に思う人がいるかもしれない。しかし私はこの立場の活動が必要と思う。福島では、行政の行う一律の説明や「ただちに健康への影響はない」という紋切り型の決めつけで不安が広がった。こうした中立の人が、コミュニケーションを深める必要がある。

半谷さんは、価値判断を他人に押しつけることなく、事実を示し、説明しようと努力を重ねている。「それぞれの人が何を食べるかは、自分で決めるべきです。ただ、このおいしい肉を考えれば、小さなリスクなら受け入れてもいいと考える人がいるかもしれません」。

福島の食材を食べ、みんなで考えてみよう

(写真2)福島県の磐梯山の春景。福島県内には美しい観光地が多い。自然も豊かで、多くの動物が生息している(iStock/wataruaoki

私は福島原発事故をさまざまな形で伝えてきたが、これまで「味覚」「嗅覚」は、問題を考える際に使わなかった。今回、それを使い、新しい視点で問題を考えた。食べるとは、別の生命を体内に取り込むこと。福島の大地で生きた動物の肉を食べ、さまざまな想像が広がった。

体で実感したのは、「食はその地域の社会や文化、生活と密接に結びつく」ということだ。福島では放射能による健康被害の発生リスクはすさまじく小さい。それなのに、極小のリスクに目を向けるあまり、住民、その地域以外の人が、食べるという営みを含めた自由な選択をすることが妨げられ、その食材に悪いイメージを振り撒く人がいる。

福島の食材を食べない選択をしたいなら、自由に行えばよい。しかし「福島の食が危険」という主張をしたり、リスクを過重に見積もった不必要な規制を行ったりすることは、他人に誤った情報と価値観を押しつける危険な行為だ。そして福島に住む人を侮辱する行為だ。

私たちは、脳内につくった福島ではなく、今ある現実を直視し、それに基づいて福島と日本の放射線リスクを考えるべきだ。

しかし私がこうして考えた理屈は必要ないかもしれない。無駄な心配は、福島の食材のおいしさの前に、消し飛んでしまうはずだ。

機会があれば、福島の食材を食べてみようではないか。

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