「靖国」賛美への違和感-日本の失敗を繰り返さないために

石井孝明
ジャーナリスト

靖国神社賛美が慰霊のあるべき形か?

8月15日の終戦記念日が、今年もやってくる。戦没者の哀悼と、敗戦の苦しみを乗り越えたの日本の先人たちに心から感謝を示したい。これは日本人に共通の認識だろう。

(写真1)靖国神社本殿と門(東京・九段)

しかし、これに私は個人的な意見がある。そうした慰霊と感謝の形が、最近目立つ意見の「靖国神社を参拝・顕彰すること」であるとは思えないのだ。靖国神社は、合理性、人間性を欠いた組織である帝国陸海軍が祭事を統括していた施設であり、その過剰な評価は失敗した日本の歴史を肯定することになってしまう。

私個人は靖国神社に否定的な見方をしているが、それを信じる人、またここを慰霊施設と見る人、大切に思う人の意見は尊重する。また旧軍の軍人が、靖国神社に思い入れをもち、一部の人がそれを心の拠り所にしたことも、心に留めている。そして靖国神社を感情的に罵倒する人も不快だ。また中国、韓国、北朝鮮、米国など他国が干渉するのも、反感を抱く。

この神社にどのように向き合おうと個人の自由だし、私の意見を押し付ける意図はない。しかし立ち止まって、靖国を顕彰する行為の意味と影響を考えるべきであると思う。

神社の意味よりも、日本帝国の戦死者顕彰施設だった

そもそも靖国神社はどのような存在か。日本の近代史を学べば、次のことがわかる。ここは神社ではなく、人工的な戦死者顕彰施設だった。

(1)近代国家では、どの軍隊でも、異常な行為である戦争を遂行するための精神的支柱を必要とする。日本帝国の場合は、天皇を神とし、それが軍を統率するという虚構を作った。国家神道というイデオロギーを作り、天皇を祭祀長とする国家神道を作った。

(2)国家神道は、日本の土俗宗教である神道を変容させた人工的なものだ。そして内容は漠然とした面があり、理を突き詰めない日本の精神的風土と合っていた。評論家の福田恒存によれば、西欧の近代は、神の否定と個人の自立を特徴とするが、それを体験しないで近代化を進めた日本はもたらされる精神の「空虚」に困惑した。そのために「神聖化された天皇」を「空虚を埋めるために持ち出された偶像」にしたと、印象的な言葉で分析している。(『保守とは何か』)その軍事面で形にしたものが靖国神社だった。

(3)靖国神社、また全国に置かれた護国神社は、戦争による不条理の死を、生きる軍人、また周囲の遺族に納得させるための存在だった。死者が尊い神になるという虚構をつくり、その死を意味のあるものした。

(4)つまり、靖国神社は死を「聖化」するための国家神道内の「装置」であり、「人工物」である。純粋な宗教施設ではない。もちろん、どの宗教施設も人により作られるが、ここで言う「人工物」とは、宗教的な感情よりも、別の目的が強く込められて人為的に作られたという意味だ。

ちなみに、高橋哲哉東大名誉教授の著書『靖国問題』(ちくま書房)、池田信夫アゴラ研究所所長のコラム「靖国参拝という非合理性」でも、同趣旨の認識を示していた。左右に言論界を分けるのはばかばかしいことだが、左(?)の高橋氏も、右(?、というより合理主義者だが)の池田氏にも共通したということは、これらはどの立場の人も受け止めるべき事実であろう。

靖国神社によって戦前の人々の戦死の恐怖を完全に乗り越えられたとは思わない。しかし重要な役割を果たした。「靖国で会おう」「靖国で会える」と言うイメージが、当時の軍人の間で定着していた。

(写真2)靖国神社内には、戦前から戦後までの旧軍関係の遺物たくさんある。写真は日本徴兵保険(現・富国生命)が寄進した満州事変の熱河作戦(1932年)のレリーフ

英霊は「餓死」「自殺攻撃」の被害者

大日本帝国陸海軍、そして大日本帝国の戦争観は、醜悪な面がある。人の命を粗末に扱い、死を賛美するのだ。旧軍は明治の建軍以来、戦勝を重ね、日本の国際的地位を高めた栄光の歴史がある。一方で、その醜悪な面、そして太平洋戦争で大敗した負の歴史がある。両方を共に記憶をしなければならない。その負の側面に、靖国神社は密接に結びついていた。

太平洋戦争は軍人・軍属230万人、民間人80万人の死者を出した。そして国土は破壊され、海外植民地をなくし、国富の3割をなくした。しかも、その敗北は歴史上のあらゆる敗者と同じように、自国の失敗が大きく影響している。

私が腹を立てるのは、この戦争で頻発する非合理性である。戦争の勝利という軍の追求すべき目的を達成するための合理的行動が行われず、軍官僚の保身、人命の軽視、プロにあるまじき錯誤が目立つのだ。「戦没者に感謝」などの、きれいごとでは決してすまされない。普通の感覚なら「責任者でてこい」と、糺弾すべき話が多い。特にひどい3つの問題がある。

第一の問題は、大量の餓死者を出したことだ。終戦時に多くの部隊が全滅、また資料が破棄されたため正確な事実は分からない。しかし数十万人単位で、餓死が出たと推定される。歴史学者の藤原彰氏は、太平洋戦争の軍人の戦没者の212万人のうち、約6割の127万人が餓死、病死、戦地の栄養不足で死亡したと推計している(『餓死した英霊たち』(青木書房)、上記と数字は違う)。この人は、日本軍を批判する情報に片寄りがちの歴史家で、同書も精緻な分析とはいえない。しかし大量であったことは疑いない。これほどの餓死者を出した軍隊は、近代以降の世界の戦史で類例がない。

普通の軍事常識なら、補給に基づいて軍を展開する。ところが、日本の陸海軍は調子のいいときに戦線を拡大。その後に制海権、制空権を奪われ、部隊を孤立させてしまう。米軍の有能さだけではなく、自らの過ちによって日本軍は自壊した面がある。歴史家の保坂正康氏の『昭和陸軍の研究』(朝日新聞社)によると、戦後、大本営陸軍部(参謀本部)作戦課の課員のエリート将校が、「あんなに餓死がいると、戦後初めて知った」と振り返ったという。彼らには、兵士は「駒」だったのだ。

第二の問題は、兵士に自殺攻撃を、部隊に全滅をうながす、人名軽視の命令が大量に出されたことだ。敗北が確定的になったときに、米軍が言うところの「バンザイアタック」という白兵突撃が、各地の陸戦で繰り返された。そして全滅を「玉砕」(玉とくだける)という美しい言葉で隠した。また「特別攻撃」(特攻)という名目で爆弾を持ち、航空機、潜水艦で突入させる戦法もあった。その要員となった若者の精神的な苦痛を想像すると、言葉を失う。戦後、「特攻は志願だった」という虚構が軍の立案者によって振りまかれたが、事実上の強制だった。

これらの事実について、私は作戦・戦備立案者、それを認めた陸海軍という組織に怒りを覚える。戦争は人間の社会で避けられない以上、軍の存在は必要だろう。しかし、国家も軍も、飢餓という地獄に直面させる、爆弾を持って突っ込ませるなどの非人道的行為を、国民に強制させる権限は絶対にない。

配慮されなかった非戦闘員の生命

第三の問題として、自国民、他国民の非戦闘員の生命の安全について配慮がほとんどなかった点がある。アジア諸国、南方、中国、満洲、朝鮮で軍人以外の約310万人の在留邦人が敗戦で取り残され、戦闘に多くの人が巻き込まれた。また約30万人の沖縄県民が戦争に巻き込まれた。こうした人々を守る戦い方はあったのに、旧軍はそれをしなかった。日本人の民間人戦没者は約80万人にもなる。

第二次世界大戦のドイツ軍指導部の回顧録を読むと、残虐行為を繰り返すソ連軍から住民を守った行為を強調している。ドイツ海軍司令官で、ヒトラー後継の大統領職にあったデーニッツは、回想録『10年と10日』で、東方領土からの海軍による約300万人の住民避難作戦を誇らしげに語っている。旧独軍はナチス政権の犯罪行為に加担した。その事実を覆い隠すために、それを強調している面がある。しかし残念ながら大日本帝国陸海軍には作戦行動の目的を「住民保護」に置いていない例が多く、誇るべき例は少ない。もし陸海軍が民間人保護を主目的にして戦い玉砕したら、敗戦後今に至るまで続く、軍への不信は、少しは和らいだかもしれない。

そして人命軽視は、他のアジア諸国民の巻き添いによる殺害、生活の破壊に繋がった。アジア諸国への占領政策も、貧乏国日本に余裕がなかったとはいえ、収奪を伴う非人道的なものだった。「白人支配からのアジアの解放」という日本が唱えた大東亜戦争の目的は、正しい面があったにしても、中身が伴わなかった。

これらの3つの問題と背景にある旧軍の人命軽視の思想は、「戦死者は神として鎮座する」「天皇、つまり神の軍隊」「神になる崇高な軍人」という異様な自己規定と、靖国神社の世界観と密接に関わっていたと思う。そうした背景から、合理的思考、さらには国民のための軍隊という発想は生まれにくい。

(写真3)境内にある日本陸軍の事実上の創設者、大村益次郎像。ここが神社より、国による顕彰施設であることを示すだろう。

合理性欠如の風潮への懸念

こうした日本帝国とその陸海軍の負の側面と密接に絡み付いた靖国神社に肩入れすることを、私は賛成できない。そして、その賛美は慰霊ではないだろう。「慰霊」と言うなら、静かに祈るべきである。靖国神社には政治的意味が、まとわりつきすぎている。8月15日にこの神社を訪問すると、政治団体の主張ばかりが目立つ。安倍首相をはじめとして政治家が訪問する、そしてそれに喝采を叫ぶことによって、政治的な問題となり騒擾が起こっているのだ。もし特定の場でしたいなら、靖国神社からわずか500メートル離れたところに、無宗教の追悼施設の千鳥ヶ淵戦没者墓苑がある。

昭和20年代から同30年代にかけて、8月15日の終戦記念日になっても、靖国神社の境内は今とちがってがらがらだったという。私が指摘したような靖国神社の虚構を、戦争を体験した人が知っていたためであろう。一方、ここ数年、靖国神社は私が見学したところ混雑していた。虚構の構造が見えなくなっている人が多いのだろうか。

しかし靖国神社を過剰に賛美すること、特に公的な立場の人が賛美をしながら訪問することは、日本の国家意思の表明となる。これは対外的なメッセージになるだけではない。それよりも、日本帝国とその軍が、自国民と兵士に行った恥ずべき歴史を、日本人自らが肯定するという意味を持ってしまうのだ。

「戦没者を慰霊しよう」という、誰もが異論のない叫びが社会にあふれはじめた。これは歴史の繰り返しを懸念させる。戦前の日本には「英霊賛美」「亜細亜の解放」「自存自衛」「八紘一宇」(日本中心の共同体という意味)という、誰もが肯定する、しかし抽象的すぎて、中身のない言葉がスローガンとして広がった。こうした異論のない大きな問題設定をすることで、必要な問いを忘れ、思考が停止することがよくある。今回もそのような危うさがあるようだ。国や組織による空疎なスローガンが、私たちの生活の現場では混乱の種になることを、昭和の戦争の歴史を見て考えた方がいい。その種のおかしな叫びに、かつても今も、靖国神社という装置がかかわっているのだ。

私が、太平洋戦争中に兵役の適齢期となり、徴兵「させられ」、家族と引き裂かれ、自殺攻撃や餓死を「させられ」、靖国で英霊に「させられた」としよう。多分私は神になっても靖国神社で、高級軍人、また後から祭られた東条英機陸軍大将・首相などの戦争指導者に対して、その無能に怒って、殴って歩くだろう。

靖国神社の過剰な賛美は、日本の政治と社会が、いつまで経っても問題のある思考から抜け出せず、合理性から遊離している証(あかし)に見えてしまう。

石井孝明
経済記者 with ENERGY運営
ツイッター:@ishiitakaaki
メール:ishii.takaaki1@gmail.com

3 件のコメント

  1. のぶもっくん より:

    あなたの考え方から、「国を愛する」という価値観が感じられないのは、自分だけだろうか?

    • 石井孝明 石井孝明 より:

      書いてあるように、国を全部肯定することが国を愛するではありませんけど。醜悪な国は無条件に愛せません

  2. 伯父in靖国 より:

    神社についてはともかく、敗戦の理由についてはしっかり検討した方がいいことには賛成。
    日露戦争の時代から、補給がなってないのは分かっていた(乃木希典の天皇への報告で明らか)のに、結局、それが解決してなかった。(補給軽視)今の自衛隊も武器備蓄量等心許ない。訓練していて精鋭だとは思うが武器がなければ戦えない(隊舎もボロボロだっけ)。米軍の補給についてもっと学ぶべき。

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