上関町、原子力の中間貯蔵施設建設、政争化を警戒せよ

石井孝明
ジャーナリスト

既存メディアの伝えない政治集団の介入

(写真1)自然の美しい、山口県・上関町(町のHPより)

山口県上関町で、原子力発電の使用済み核燃料の中間貯蔵施設の建設の調査が行われる。中国電力と関西電力によるもので、同町の西哲夫町長が8月18日に受け入れを表明し、町議会がそれを同日に認めた。

私は、この動きを原子力発電の活用のためにプラスになると評価したい。しかし上関町はもともと原子力をめぐる反対運動が強く、それは極左政治集団によるものだった。その活動への警戒をする必要があるだろう。これは既存メディアなどが誰も伝えていない情報で、それを私は紹介したい。

上関町では中国電力が1980年代から、上関原子力発電所の建設に取り組んできた上関町の住民の大半は、原発の建設に賛成している。今年8月に行われた選挙でも投票者の約8割が、原発受け入れ派の西現町長に投票した。しかし、それが混乱した。私は現地に行っていないが、その是正のための動きに、2010年ごろ少しだけ関わった。

政治活動家が外部勢力を引き入れる

「中間貯蔵」とは、原子力発電所で使われた使用済み核燃料を、再処理されるまで一時的に保管することだ。危険度は少なく、建設は原子力発電所より当然容易だ。これは各地の原発に一時保管されていたが、核燃料サイクルの遅れによって各発電所に使用済み核燃料が貯まる状況になっていた。上関原発の建設が遅れているために、中国電はこの施設を地元に提示して、なだめようとしたようだ。同社は島根原発(松江市)を運用している。

上関原発の建設は遅れた。用地買収は大半か90年代には終わったが神社が保有した形になっていた共益地の買収が、一部の人の反対で難航した。また原発建設予定地の対岸にある祝島(いわいじま)で反対運動が盛り上がり、漁業権などの補償が揉めた。漁業をする人は高齢化によって10年前からわずかになっているが、交渉は一部でまだ続いていると聞く。

もちろん原子力発電について、住民がどのような意見を持とうと自由だ。しかし、ここにはかなり過激な左派の活動家と団体が入り込んで反対運動を扇動した。少しぼかして書く。

上関町出身で、1970年代の新左翼運動の中心の一つだった「極左」に認識される左派系政治団体の某組織の幹部になった人がいた。その人は、成田空港の反対運動などで活動をした後、帰郷してある仕事をしていた。上関で原子力発電所の建設が持ち上がったところ、この人が都市部での政治活動の手法を使って反対運動を組織し、町外の政治団体を呼び込んだ。また広島で強い勢力がある政治色の強い反核団体が乗り込んできた。

また日本のカヤック(カヌーの一種)の普及で有名な人がいる。その人は瀬戸内海を中心に活動していたが、2010年ごろ当時、上関原発に怒り、その人の下で学ぶ若いカヌー乗りたちと共に乗り込んできた。

一部の活動家は建設現場に違法テントを建て、キャンプをして寝泊まりした。糞尿、生活排水の処理の形跡はなかった。また建設現場の水域でカヤックを乗り回すようになった。そうした活動家たちと地域住民の暴力沙汰はなかった。しかし、迷惑がられて、地域との交流はなかった。

2010年ごろには上関は日本の反原発運動の象徴になってしまった。東京のメディアや映画会社は、上関原発が反対一色で、住民が苦しんでいると、歪んだ事実を報じた。山口県は、この上関原発建設を支持してきた安倍晋三の地元で、地元メディアは中立だった。中国電は、一部活動家に民事訴訟を起こし、建設地域への立ち入りを禁止する命令が裁判所から出た。そして2010年末には工事が始まる状況だった。

そこで起きたのが2011年3月の東京電力の福島第一原発事故だ。上関の建設はほぼ止まってしまった。

(写真2)上関原発の建設予定図
(写真3)上関町のHP、上関町の位置も出ている。

対話による解決模索に少し関わる

私は、2010年ごろ、上関原発の問題で、対話による問題が解決できないかと甘いことを考えていた。その後、福島原発問題の報道では、反対運動をする人たちの異様さを知り、今では考えを変えている。原発などの政治問題では、反対する一部政治勢力は反対すること、暴れることだけが目的で、問題の解決を全く考えていない。問題解決のために、変な政治集団の介入を排除する、影響力を削がなければならないのだ。

東京での上関原発をめぐる会議で地元政治家と知り合いになり、シンポジウム、円卓会議のような形で、関係者が参加して問題解決のための対話を深められないかと提案した。ボランティアで一緒に企画を練り、東京の有識者に、シンポジウム参加を打診した。しかし2010年末、「中国電力の工事が始まりそうで、過激な人を刺激したくない」と言うことで様子見になった。

上関町の反原発グループは、福島の原発事故直後は大騒ぎした。しかし中国電力が何もしなくなってしまったために、彼らは攻撃対象を失った。一部は、沖縄・辺野古で行われている米軍飛行場の拡張工事の反対運動に移った。辺野古で一時カヤックを使って暴れた人たちは、上関の反対運動と同じ顔ぶれだった。2023年になって彼らの動きは消えてしまった。SNSでも発信していない。

再エネで派手な動きをする「四谷グループ」と言う事業者や、弁護士、研究者の集団がある。前述の過激な政治団体との関係は不明だが、2013年に「祝島自然エネルギー100%プロジェクト」を立ち上げた。この運動も、2023年にHPを見ると動きが消えている。

(写真4)上関町は海が美しく、確かに原発を作るのはもったいないと言う気持ちもある(同町HPより)

反対運動は高齢化で消える

ニュース映像を見ると、今年8月の上関町の町議会では「反対派」と称する高齢の人たちが、議員や町長が町議会に行こうとしているのを、暴力的に妨害しようとしていた。私のここまでの説明を読めば、この「反対派」がどのような人かは理解できるだろう。

しかし、この建設調査を止める力はなかった。理由の一つは「高齢化」のようだ。

前述の反対運動の中心人物は、80歳前後でほとんど政治活動に動かなくなってしまったという。支援していた過激な政治団体も、機関誌の発刊は2014年に止まり、ホームページを見てもほとんど活動しなくなってしまった。メンバーの高齢化が進み、活動できないのだろう。そもそも上関町が過疎化と高齢化による町の衰退に苦しんでいる。

上関町の原子力問題で反対運動が沈静化したのは良いことだが、その理由がおそらく「高齢化」なのは、日本の今の問題を表しているようで、暗い気持ちになる。

日本の政治問題は、このように関係ない部外者が介入してお騒ぎになる事例が多数ある。どのような意見も自由だが、「暴力」による少数派の妨害、また政治イデオロギーによる妨害はやめてほしい。それが日本のさまざまな前向きの動き、合理的な動きを停滞させてきた。問題解決のために、地元の人を中心にした利害関係者(ステークホルダー)が静かに、合理的に、合意をまとめる状況を作るべきだ。

衰退をしている日本には、問題を争い続ける余裕などはない。

(注・中間貯蔵施設の問題は、他に大量にあるので、また改めて報道する)

石井孝明
経済記者 with ENERGY運営
ツイッター:@ishiitakaaki
メール:ishii.takaaki1@gmail.com

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