オールドメディアが女性の力で変わる

石井孝明
ジャーナリスト

人権を語るメディアの実態

(画像1)徹頭徹尾、妄想のメディアと取材と女性記者の活躍を描いた日本映画「新聞記者」。しかも内容がつまらなかった。これが2019年の日本アカデミー作品賞を取ったというのに驚いた。今回は現実のメディアの話

1990年代の後半に記者として取材現場にでた男性の私が、どの業界にもある「伝説」として、以下の話を聞いた。真偽は不明で、組織と登場人物の名前と場所は隠そう。

1990年ごろ、全国メディアの地方支局でそこが初任地の20代の女性記者が夜回りで単身赴任中の中央官庁の男性キャリア官僚の家に行った。酔って帰宅した役人は、記者を押し倒し、服をはごうとした。その人は押しのけて、待たせたハイヤーで自宅に直帰した。

翌日、この女性記者は男性上司に報告し、抗議を会社として行い、一緒に行くことを求めた。その上司は以下の「善意に溢れた」忠告をした。

「あなたは嫁入り前だし、変な話が広がるのは良くない。あなたがこの業界で生きていくなら、取材もしにくくなる。今回のことは相手も酔っていたようだから忘れなさい。あなたのことを思って言っている」。その女性は、そのメディアをすぐにやめた。その上司は、今は姿を見えないが東京に戻りそのメディアで世の中に一時意見を出していた。偉そうに人権を語っているのを私は聞いた。

この話を聞いた時に、ひどいと義憤を感じた。だが私は男性であり、仕事を覚えるのに大変だったので、それで終わった。少し反省している。

現場と顧客の声を聞き、北欧のメディアは変わった

時代は変わった。女性の活躍が当然になり、異様な男性優位の価値観は批判される。前述の30年前のエピソードなど、これが表に出たら、今ならこのキャリア官僚も、メディアも大変な批判にさらされる。ところが、男性優位のおかしな残滓が残っていると聞く。流れてくるニュースは、男性中心の視点で作られている。

これを変えられないかと考えていたところ、興味深いメディア関係のシンポジウムを見た。

「Nordic Talks:ジェンダー平等とメディア・報道と編集室における女性」のサイト

「Nordic Talks:ジェンダー平等とメディア」フィンランド・アイスランド・日本のメディア業界で働く女性たちが対話するトークイベント」という。北欧の日本大使館が連合して、日本で広報活動をしているイベントの一環だ。

私は「海外は素晴らしい」と賛美する、単純な意見は嫌いだ。しかし、このイベントを聞き、素直に女性が活躍する北欧のメディアの先進性を優れていると思った。私の低い英語力と、仕事をしながらの視聴で、内容に聞き間違いがあったら容赦いただきたい。

このイベントにスウェーデンの新聞の元編集長と取締役、アイスランド国営放送の編集長が参加していた。

両国でも報道は30年前まで男性優位社会だった。それを変えたのは「お客さま」である読者だ。顧客の半分である女性の要望で、女性が求めるニュースを考えるようになった。感覚的にそれがわかる、女性の作る記事が増えた。組織も書く、放送を作る機会を与えたという。

メディアは、アジェンダ(主題)設定という役割を持つ。世の中には埋もれる情報がたくさんある。取り上げる段階で、そのメディアはニュースを選別している。今はそれほどでもないが、昔はアジェンダ設定でメディアは世論をコントロールできた。

そのアジェンダ設定が、女性の参加で変わった。かつては政治と凶悪犯罪ニュースばかりだった。それが生活や社会の問題を取り上げるようになった。マッチョな男臭いニュースから、平均的な人が関心を持てるようになった。

メディアの仕事には男性優位になりがちな制約もある。例えば事件が起きたら現場に行くのが記者だ。また要人や情報を知る人に、仕事場以外でも聞きに行く「夜討ち・朝駆け」という取材方法がある。また記者が宿泊待機する。そのために、体力勝負で子育て・妊娠をする女性に不利だ。私が既存メディア記者時代には、女性に男性と同じことを、どのメディアもやらせていた。

そういう場面は、これらの国でも当然ある。また「夜討ち・朝駆け」のような習慣も、日本ほどひどくはないがあるという。しかしアイルランド国営放送では、無駄な取材のカット、制作現場でのミーティングの簡素化、そして夜の打ち合わせを昼にずらすなどの、「小さな改革を重ね、女性が働きやすい職場を作った」という。当然、そこで働く人の声を聞いた。

もちろんメディアの規模や国情が、日本と北欧諸国では違う。しかし性別による固定観念を乗り越える工夫は仕事で私はできたと、今になって残念に思う。

まともなメディア内部の人は気づいてるがー朝日新聞の変化

日本を含めて、メディア不況が深刻だ。上記のシンポジウムでは、その部分は参加者は突っ込んでいなかった。日本のメディアもこのままではいけないと、まともな人は理解している。私はテレビはほとんど今見ていないが、新聞はPRメールを購読し、時々図書館で読んでいる。

朝日新聞は危機感を抱いて、報道の姿勢を変えている。右派の人たちは、朝日を目の敵にするが、ニュースの中身はかなり変わっている。さすがだ。同社は記事を、業界用語でいう「長尺モノ」という数千字のものに、そして「ストーリー系」という人のエピソードを中心にしている。記者の取材力と文章力は質が高く、面白い記事もあり、女性記者も活躍し、女性を主役に据えている。

朝日新聞の見出しの一例だ。

捨てた新卒切符、カナダで保育士に 永住権申請は「やりぬく執念」(2月5日記事、経済カテゴリー)
闇バイトの帰り、18歳の息子は事故死した 両親に残された「なぜ」(2月5日記事、社会カテゴリー)
「A-stories「昭和98年」の女性登用 管理職はなぜ増えない?「管理職降りたい」家庭崩壊し、女性社員は涙した 上司の答えに失望」(2月6日、社会特集記事)

ただし、その努力は認めるものの、お金を払って読む意欲は湧かない。テーマは「女性」「苦労」「頑張る」ばかり、オチは「希望を抱いた」「日本はひどい」のいずれかだ。同じパターンの記事ばかり目立つ。そして同じような「御涙頂戴」ストーリーは社会にたくさん転がっており、わざわざ課金をして新聞のコンテンツを買う人は少ないだろう。

朝日はまだましだ。毎日新聞、東京新聞などは、部外者が見ても、おかしいと思う極左化をしている。新聞読者の高齢化と左の傾向が強まっているためだろうが、それでは先ぼそりなのだが。毎日は、女性テロリストの応援記事を女性記者が書き、大炎上をした。「&エナジー記事「テロリストの主張は黙殺せよー毎日新聞「など」への苦言」で顛末を書いた。東京は、奇矯な行動をしている某女性記者を「スター」扱いして売り出した。その人は極左の1%の人には喜ばれているが、それ以外の人には気味悪がられている。会社にマイナスだろう。

残念ながら努力をしている朝日も、おかしな方向に走り出した毎日、東京も、儲かっていないのがメディアの現状だ。

「お客さま」の声が、変わるきっかけになる

女性と仕事のあり方はメディアだけの問題ではない。どの企業でも直面する問題だ。

日本の場合、「権利の拡大」というと、エキセントリックな主張者が目立ち、引っ張られてしまう傾向がある。女性の社会進出でも同じ状況がないだろうか。男性を叩いて、また無理に女性枠を作って女性の役割を増やすと、男性からも、それを迷惑がる女性双方から疑問の声が上がるだろう。

私の周りには様々なマイノリティの方がいる。私の意見と同じで、周囲もそういう人が多いのかもしれないが、その大半は「自分らの存在を、弱者とか、社会から排除されている存在と勝手に位置付けられる事が嫌だ」という、まともな感覚の人ばかりだ。かばってほしい、援助をたっぷり欲しい、日本政府や社会を憎む、批判するというのはごく少数だ。これが健全な日本社会の実態だろう。

バランスを持って、「普通の」女性の声を反映させる方法として、北欧のメディア改革のように、外部からの声、特に強力な「お客さま」の声を使う方法が、改革のために効果があるかもしれない。これはどの業界でも当てはまるだろう。そしてメディアでは工夫を始めた朝日新聞の変化に注目しながら、バランスを持った変化をうながしたい。そして「お客さま」として、私たちは日本の報道のあり方に発言をしていこう。そして、その方がオールドメディアにも再生のチャンスがあると思うのだが。

2 件のコメント

  1. ミシガン より:

    朝日新聞変わりつつあるのは、私も感じている。ストーリー系が
    多くなっているのもその通りだと思う。でも、それだけだと、弱いよね。役に立たない感じ。経済の動向に関する考察など、ほとんどない感じ。読者の殆どが、自分で稼ぐ必要のない人になっているのではないかと。

    • 石井孝明 石井孝明 より:

      ありがとうございます。ご指摘通り、現役世代には響かない話ですよね。ニューヨークタイムスなどはそれでも読まれていますが。

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