噂話の向き合い方-徒然草「よき人は怪しきこと語らず」

石井孝明
ジャーナリスト
噂話は面白いが…(写真はイメージ、iStock/bowie15

会話に必要だが、自分を汚す

噂話というものは、面白いものだし、人との会話を弾ませるものだ。しかし自分自身を汚してしまうかもしれない。私は「外国のスパイ」と噂話の対象にされた。それをきっかけに、いろいろ考えた。記者として噂話よりは多少は信憑性の高い情報や他人の話を扱っている。闇に落ちないように、自省を込めて色々考えた。

鎌倉時代の兼好法師(1283?〜1352?)の随筆「徒然草」の73段に「世に語り伝ふる事」という話がある。自分が記者として参考になるから覚えていた話だ。

世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言なり。(略)音に聞くと見る時とは、何事も変るものなり。(略)あらはるゝをも顧みず、口に任せて言ひ散らすは、やがて、浮きたることと聞ゆ。また、我もまことしからずは思ひながら、人の言ひしまゝに、鼻のほどおごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。げにげにしく所々うちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、つまづま合はせて語る虚言は、恐しき事なり。(後略)
(引用「左大臣どっとこむ」)

私流の解釈・世に語り伝える事は、本当のことはつまらないからであろうか、多くは嘘だ。(略)評判に聞くこととと実際に見るとは、何事も違うものである。すぐ嘘とばれるのを顧みず、口に任せて言い散らすのは、すぐに根拠の無い話とわかる。また自分も本当らしくないとは思いながら、人が言うままに、鼻のあたりをひくひくさせて言うのを観察すると、その人自身から出た嘘でなく、受け売りであるとわかる。いかにも本当らしく、ところどころ話をぼかして、よく知らないふりをして、そうはいっても、つじつまは合わせて語る虚言は、信じやすいので恐ろしいものだ。

いつの時代も変わらない。私が印象に残ったのは「鼻のほどおごめきて」という、馴染みがない「おごめく」という単語だが、なぜか文章の中で意味がわかってしまう一節だ。「鼻をぴくぴくさせる」という意味だ。人の噂話をする人は、顔が変な動きをして、何か卑しい。750年前の日本でも同じ光景だったのかと思って、面白く感じた。

兼好法師(明治期の想像画、wikipediaより)

噂話の卑しさの理由

表情から示される通り、噂話には、話そのものにも、話す人にも卑しさがつきまとう。なぜか。

これについて、ジャーナリストの草柳大蔵さん(1924〜2002)が、「礼儀覚え書き」(グラフ社)で分析していた。「裏切りが込められているからです」という。人がおかしなこと、変わったことをする場合は、たいていその人が、「ありのまま」を見せてくれた時だ。ありのままを見せるということは、相手を信用したということ。そして、心のやさしい人ほど、相手に窮屈な思いをさせまいと、ありのままを見せる。ところが噂話をする人は、それを面白おかしく広げ、それを楽しむ。「これは裏切りです。卑しいんです。悲しい、といってもいい」と草柳さんは指摘した。なるほどと同意した。

そして、自分の仕事に内包される危うさに、あらためて怖くなった。情報を面白くするために、加工して、自分を貶めていないかと。私を「外国のスパイ」と騒ぐ人の楽しそうなこと。その人たちを見て、「卑しい」と私は冷笑していた。しかし、私をそのように見つめている人がいるかもしれないと思うと、自戒しなければいけないと思った。

噂好きは、誰でもそうだろう。しかし、その好きさの程度、発信、話す時の表情、口調、向き合う態度は、人の本性を見極める情報になるだろう。

噂話の接し方-突き放す必要はないけれど

では、噂話の接し方をどうすればいいのか。

また兼好法師の知恵を借りよう。前述の73段の後半部分だ。

よき人は怪しきことを語らず(中略)(仏神などの話は)「よもあらじ」など言ふも詮なければ、大方はまことしくあひしらひて、偏(ひとえ)に信ぜず、また疑ひ嘲るべからず。

私流の解釈・まともな人は怪しいことを語らない。(ただありがたい話、人々が信じている話は)「ありえない」など言っても仕方ないことなので、大方は本当のこととして受け取っておいて、熱心に信じてはならないし、また疑い、罵り、笑ってもいけない。

噂話を拒絶が好ましいが、全てを否定はできない。変に拒絶する必要もない。人との関係を壊す必要はないが、ほどほどに付き合おうと、兼好法師は言っているようだ。

草柳さんは、女性に向けての講演の本を引用する形で、対応法を述べている。時と場所で使い分ける。

「聞き流す」「噂話って好きじゃないからと逃げる」「そんなことはないわよと反論する」「噂話の好きな人から遠ざかる」などだ。上手と草柳さんが推奨するのは「噂にはお互い気をつけましょうね」と角が立たない形にして別の話題に移る方法だ。

人の間に暮らす中で、噂話から逃れられることはできなさそうだが、ほどほどに付き合いながら世の中を渡っていくのが、賢い方法かもしれない。

石井孝明
経済記者 with ENERGY運営
ツイッター:@ishiitakaaki
メール:ishii.takaaki1@gmail.com

3 件のコメント

  1. 米島弁 より:

    私は「楔を打ち込む」タイプのデマや噂に悩まされ、N.デフォンツォ『うわさとデマ』を読みました。標準的な社会心理学のテキストも、参考になりますね。正直、噂やデマを言われてしまうと、言われる前の状態には戻せないし、言われた側に出来ることも限られています。ただ、発信者以外の人間は、噂やデマに巻き込まれないようにすることが大事ですかね。それが延いては、事の真相や言われた側を守ることに繋がると思っています。

  2. 米島弁 より:

    既に御存知と思いますが、N.デフォンツォ→N.ディフォンツォです。失礼しました。

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