日本は中国との戦争に備えるべきか?―ウクライナ戦争でのケナンの問い

石井孝明
ジャーナリスト

中国、北朝鮮、ロシアとの近未来の戦争の可能性が公然と語られ始めた。ウクライナ戦争の悲劇がきっかけだ。日本政府は防衛政策を転換した。しかし日本は必ず戦争をしなければならないのか。私は別の道があるように思える。

ウクライナの少年の祈り(iStock)

参考になるのが、ウクライナ戦争だ。この戦争は避けられたのではないかという問いが、昨年2月の開戦以来、欧米で議論され続けている。そこで必ず引用されるのが、米外交官ジョージ・ケナン(1904-2005)の知恵だ。それを日本の周辺環境に当てはめてみる。

ウクライナ問題でケナンが語ったこと

米外交専門誌のフォーリン・アフェアーズサイトに「ウクライナをめぐるケナンの警鐘、独立の望み、不安、そして危険」(Kennan’s Warning on UkraineAmbition, Insecurity, and the Perils of Independence)と言う論文が1月27日に掲載された。ジャーナリストの東谷暁さんのブログで知った。(「ウクライナ戦争は回避できた?:コスティグリオラのケナン伝から考える」)

これは、「ケナン:世界の間での人生」(Kennan -A Life between Worlds)と言う伝記を今年1月に発表した、コネチカット大学外交史教授のフランク・コスティグリオラ教授の論文だ。このケナン伝は600ページの大著で、私の低い英語能力では読破は困難だ。フォーリン・アフェアーズの論文だけを取り寄せて読んでみた。

ケナンは、米国国務省の企画政策局長として冷戦初期の外交政策を形作った。日本の占領政策の左傾化・非軍事化を懸念し是正を勧告した。さらにソ連の拡張主義に対する「封じ込め政策」を、このフォーリン・アフェアーズで1949年で「X論文」として主張した。ケナンの提言はそれが政治的、経済的な総合対策の提案であったにもかかわらず、その真意に反して軍事面が強調されすぎ、ソ連と米国の相互の不信を生んで、冷戦での米ソ両国の軍事力の無駄なコストを生んだと、今では評価されている。その後はプリンストン大で教職に就いたが、米国の外交政策に影響を与え続けた。

西側にロシアを挑発した責任はなかったか?

コスティグリオラ教授の論文のポイントは、以下の通りだ。

▶︎ケナンは冷戦後の西側の「ソ連に勝った」という喜びや議論には懐疑的、批判的だった。その後の世界の無秩序化を懸念していた。

▶︎独ソ戦でのソ連の勝利で、ウクライナのソ連の支配は強化された。1948年にケナンは次のような政策メモを残した。「ソ連の再占領にウクライナ人は憤慨するだろう。ウクライナは独立するべきだと言う議論が強まるが、アメリカは支持すべきではない」。1991年のソ連邦崩壊後も、同じ態度を取るべきとケナンは言った。ロシア、ウクライナが連邦、もしくは強い協力関係を維持できる環境を整えるべきと主張した。

▶︎ケナンは2つの観察をしていた。第1に、ロシア人とウクライナ人は民族、歴史で見ると、一体的で区別することはできない。少なくともロシア人はそう思っている。その分離は社会的・文化的衝撃を、ロシア人に与える。第2は、ロシアとウクライナの経済関係は非常に密接で、穀倉地帯ウクライナの完全分離は、アメリカの穀倉地帯(コーンベルト)が消えるようなもので、ロシアの経済・社会の運営に、かなり破壊的なことになってしまう。

▶︎1990年代の崩壊したロシアに、西側の経済界は金融機関で進出し、さらにロシアの財閥を通じて地下資源を買い漁った。それを米国をはじめ西側政府は支援し、さらに東欧諸国のNATO加盟を認めた。これはロシアの不信を生み、危険だとケナンは警告した。

コスティグリオラ教授は、これらのケナンの懸念が、全部適切だったとしている。私はロシアの復活、ウクライナの民族意識の高まり、2014年の親西欧政権の樹立と東部とクリミアの限定侵略などの展開をケナンは亡くなる2005年前後に読み切っていなかったとは思うが、同教授の考えに同意する。プーチンのウクライナをめぐっての発言は、ケナンの指摘が全て現れている。

ウクライナの切り捨てもケナンの選択肢

同教授は「ロシアがウクライナで野蛮な戦争を行なっていることは批判されるべきだが、アメリカもまたロシアの目の前で軍事的存在感を無遠慮に示し続けている。もしケナンが生きていたなら、ロシアを追い詰めることの危険さについて、戦争前に警告しただろう」との趣旨のまとめをしている。この論説を紹介した東谷氏も同じ考えだろう。

ウクライナ人の犠牲や、英雄的戦闘に私たちは感動してしまうし、それには私も敬意を持つ。それにつれられると、ケナンの発想は冷たいと思えてしまう。しかし「最小限の負担で、最も大きな利益を獲得する」ことを外交の目的と考えれば、米国や西側にとって、ケナンの指摘は正しかった。ケナンはウクライナを切り捨てても、米国と世界の安全を確保すべきと考えていたようだ。

以下は私の妄想だが、ケナンは生きていれば、戦争になった現在では、米国など西側政府には、ウクライナに有利な状況を作らせた上で、西側が自らのロシアへの行動の危険性を認めること、全土解放という非現実的な戦争目標をウクライナから取り下げさせる、どこかでウクライナに妥協させてロシアへの説得を西側全体で試みる現実的結末を、提案するように思える。

ウクライナを参考に、日本の周辺環境を考える

ケナンの認識は、東アジアにおける日本の行動に参考とならないだろうか。

中国と北朝鮮、ロシアが日本の軍事的脅威であることは確かだ。そして、これらの国の軍事力に備えて日本の防衛力を整備することも当然だ。しかし、そこで思考と行動を終わらせないで、もう一歩進めて考えるべきと思う。政府も、勇ましい一部の日本人も戦争があると考えている。しかし、それが自明とは限らない。

中国、ロシア、北朝鮮は、いきなり日本だけを軍事攻撃する合理的理由は現状ではない。まずは台湾、韓国と戦わざるを得ない状況の中で、中国や北朝鮮が日本を攻撃することが起こるだろう。例えば台湾の完全な中国からの独立宣言などだ。

曖昧な状態による問題の先送り、また切り捨てを、台湾問題、朝鮮半島問題でしてもいいと思う。そもそもこれら2地域の統一問題は同一民族内の問題で、日本は口を出せる立場にない。台湾は日本にとって親近感が強いが、日本が自国の安全を壊してまで介入する必要はない。もちろん、今のところは台湾と韓国に協力することが日本の国益だが、それは状況により変わる。

「切り捨て」リスクは、日本にも当然存在する。米国に捨てられかねない。日本では、「米国の戦争に巻き込まれる」という懸念が伝えられるが、現状は「日本の戦争に米国に巻き込まれてもらう」ことを考える必要がある。米国にとって、日本の重要さを強調し続ける必要がある。

ケナンなら、日本に何を提案するか?

今回の防衛政策の転換について、岸田文雄首相は日本周辺の安全保障環境の変化を理由にする。しかし、それは受け身で単純すぎる。その防衛費の増加額も、サミット参加国がどこも防衛費がGDP比2%だから日本もそれぐらいにしようと定めたようだ。何が必要かも精査していない。これでは、国民の理解が得られるわけがない。

言うまでもないが、私は日本に蔓延する「軍拡反対」「交渉しろ」という空想的な安全保障論を唱え続ける日本の左派政治勢力、立憲民主党や共産党、メディアを、愚かであると思う。橋下徹さんなどのように「ウクライナは降伏してしまえ」という、幼稚な床屋政談もくだらない。

しかし批判者のレベルが低すぎるので、政権側も示す安全保障構想が稚拙だ。また世論から「中国、北朝鮮撃つべし」の勇ましい声は聞こえる。しかし本当に本当に日本は戦争をする覚悟ができているのか。死ぬのはまず自衛隊、その次は戦争で軍に入隊を強制されるであろう日本の若者で、声高に叫んでいる人は他人事として騒いでいるようだ。軽々しく戦争を叫んではいけない。また中国や韓国、北朝鮮などからの諸要求に譲る必要はないが、米国に同調して主体性を失う外交をしたり、相手のメンツを潰し、挑発し、追い詰める行為も危険だ。

外交では、勇ましい議論ではなく「損害なく、国益を最大にする」ことを目的にする。中国や北朝鮮の相手の内在的論理を見極め、適度に不満を解消させる。政策の柔軟な変更を可能にする。場合によっては他国に戦火をとどめて、切り捨てる選択も日本に被害が及ばないようにすることも考える。相互不信を解消する国際的な協力体制、対話の仕組みを考える。このような冷徹な視線、東アジア全体の安定を考慮した大きな見地からの個別問題の妥協も考える余地がある。

ケナンのような知性と私のような素人の一経済記者とは比べ物にならないが、もし生きていれば似た内容の提案をケナンは日本にすると思う。

1 件のコメント

  1. コイケさん より:

    徴用工などの日韓関係課題は、日韓だけで考えると譲歩の余地などないのですが、東アジアの中の日本の国益全体から見れば、ある程度の議論の余地がある。と言うことになりますね。釈然としない部分はありますが、韓国保守派を取り込んだ政治的安定は二国間だけでなく東アジアの安全保障と日本の外交できるな選択肢を確保することになります。ケナンの視点はとても参考になりました

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