安倍元首相の米議会演説、「希望の同盟へ」(2015年)再解説

石井孝明
ジャーナリスト
(写真)安倍首相の米上下両院合同会議の演説(内閣広報室)
(写真)安倍首相の米上下両院合同会議の演説(内閣広報室)

安倍元首相の死を悼む

安倍元首相が暗殺されてもう5ヶ月が経過した。その死を惜しむし、彼の外交の業績は歴史に残るものだった。2015年4月に彼は米議会で日本の首相として初めて演説した。その演説は素晴らしいもので、日本人として誇りに思うものだった。当時、ネットメディア「アゴラ」で掲載し、転載され数十万の閲覧と評価をいただいた原稿を(やや長くて恐縮だが)再掲載して、安倍氏の栄誉を改めて称えたい。

そして安倍氏が盤石にした米国との関係が一段と深いものになることを願う。安倍氏の業績を継ぎ、発展させるのは、私たち一般国民一人ひとりだ。

(以下本文)

素晴らしかった安倍氏の「希望の同盟へ」演説

安倍晋三首相が日本時間30日(注2015年4月30日)未明、日本の首相として初めて米上下両院合同会議で演説した。題名は「希望の同盟へ」(外務省訳)。大変考えられた、すばらしい演説だった

映像

私は、安倍首相の経済・内政政策は評価していないが、外交・安全保障分野の「チーム安倍」の能力の高さは発足直後から注目してきた。今回の演説でもスピーチライターの谷口智彦内閣参与、参謀役の谷内正太郎内閣国家安全保障局長が安倍首相と図りながら、適切な配慮をしたのだろう。安倍首相は海外メディアで極右と誤った描写がされている。この演説を契機に、良いイメージが広がってほしいと期待している。

演説は多岐な問題に触れたが、その中で米国軍事史について素人マニアとして詳しい私が話しやすい「戦没者の慰霊」に焦点を当て、解説したい。アメリカ人の好きそうな歴史的事実を取り上げ、非常に練られている。

「ゲティスバーグ演説」でつくられた米国の慰霊の形

(写真)映画リンカーン。ダニエル・デイ・ルイスがアカデミー賞主演男優賞を受賞したが、優しさとユーモアを持ちながら、理想を当時の混乱の中で懸命に追求する姿を描いていた。本当のリンカーンが現れたかのような印象を受けた。
(写真)映画リンカーン。ダニエル・デイ・ルイスがアカデミー賞主演男優賞を受賞したが、優しさとユーモアを持ちながら、理想を当時の混乱の中で懸命に追求する姿を描いていた。本当のリンカーンが現れたかのような印象を受けた。

南北戦争(1861-1865)は今も米国に影響を与える。約60万人の死者を出し、当時の米国社会に大きな傷を残した。その死を生きる人々が受け止めるロジックが、戦争を勝利に導いた大統領リンカーンのゲティスバーグ演説だ。日本人には「英語教材」にすぎないが、米国では国の形の一部に影響を与えた重要な文章になっている。

どの国でも、戦争における戦没者の慰霊の論理が国を維持するために必要だ。日本では戦前は靖国神社で神になるという論理が採用された。米国でも、この演説の論理構成が死者と向き合うために、繰り返される。引用しながら、構成をまとめよう。

1・戦った人の自己犠牲への顕彰。敵への悪意は強調しない。

演説から「私達はこの大地を清められないのです。生きる者も、死せる者もここで奮闘した勇敢な人々がすでにここを神聖化してしまいました。そこに、なにかを足したり取り除いたりするわれわれの貧弱な能力など、それにまったくおよばないものだからです」。

2・死の意義の定義

同「われわれ生きる者の使命とはむしろ、ここで戦った人々がこれまで気高く前進させた、この未完の仕事に身を捧げることなのです」

3・未来への提言

同「そして国民の、国民自身の手によって、国民自身の利益のための政治を行うこと(世界初の近代的民主主義国家である米国)を、この地上から消え去さらせはしないためなのです」

ゲティスバーグ演説は練り込まれ、とても感動的だ。米国の良心的な思想の流れとしてこの演説の論理構成は頻繁に米国人の行動に現れる。

もちろん戦争の受け止め方は人それぞれだ。それを乗り越えられるかは、千差万別の個人の問題だろう。しかし社会全体として見た時に、このリンカーンのロジックは感動的であり、人々が合意しやすいものであろう。そして、リンカーンの敵を罵らずその精神を讃える姿勢はすがすがしく、新しさを感じる。2015年になっても、世界は敵を罵り、汚い言葉を浴びせる人たちに満ちているからだ。

今年は南北戦争終結、そしてリンカーンの暗殺から150年の節目の年だ。米国訪問では、安倍首相をオバマ大統領が、ワシントンのリンカーン記念堂を案内した。

オバマ大統領が2008年の大統領選挙で勝利した後で、ホワイトハウスに持っていったと話題になった本がある。ハーバード大の歴史学教授のドリス・グッドウィン教授のリンカーン政権を描いた「ライバル達のチーム」(邦訳は「リンカーン」(中公文庫))だ。これは、スピルバーグの映画「リンカーン」の原作にもなった面白い本だ。

リンカーンは泡沫候補から大統領に選出。そしてかつての格上のライバル達を閣僚にして政権を運営し、南北戦争を勝ち抜いた。オバマ氏も、政治的には経験が浅く、格上のクリントン氏やケリー氏を国務長官などの閣僚にし、テロとの戦いを続けている。リンカーンを意識したのだろう。ただし、オバマ氏が米国最良の大統領の一人と評価の揺るがないリンカーンに迫ったかは疑問だが。

ABE、リンカーン、死者の慰霊

ここで安倍演説を振り返ろう。安倍演説ではまず「私の苗字(ABE)ですが、「エイブ」ではありません」と、ジョークを入れた。エイブは、リンカーンの名前だ。そしてゲティスバーグ演説は日本に影響を与えたことも言及した。米国議会に集う議員はそれが慰霊の言葉と知っている。

英文でも、日本文でも、はっきり対象を言わずに脳裏にイメージを広げさせるのは高度な表現方法として使われる。能の大成者の天才役者である世阿弥の言葉「秘すれば花」も、その意味だ。この演説でも、リンカーンの名前を明確に出さないものの人々の脳裏に広げる手法を使っている。

安倍首相は、米国の第二次世界大戦メモリアル(慰霊の石柱の並ぶワシントンの公園)を訪れた経験を述べた。「私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます」という、とても印象的な言葉で慰霊した。

そして硫黄島で70年前に大尉で戦った93才のローレンス・スノーデン海兵隊中将と、日本側の司令官であった栗林忠通陸軍大将の孫である新藤義孝衆議院議員が共に並んで演説に立ち会うことを「歴史の奇跡」とたたえ、犠牲になった両国の兵士の崇高さをたたえた。2人が共に立ち上がると、議事堂は米国の上下両院の議員による万雷の拍手に包まれた。この光景を見て、私も硫黄島で戦没した両軍兵士の魂が、多少は癒やされ、報われたと信じたい。

そして敵国日本に対する米国の寛容さをたたえ、「米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう」と議員らに呼びかけた。この言葉を3回繰り返す表現は、ゲティスバーク演説の「国民の、国民による国民のための政治」と言う言葉を意識しているのだろう。

また日本外交の重石になっている第二次世界大戦の認識については「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない」と指摘している。この文章の範囲が、聞き手の当時は敵であった米国のインテリにも、日本国民にも、ほぼ全員が共有できる認識であろう。

米国のすばらしさをたたえ、議員の喜ぶ「ツボ」に配慮された演説である。普通、国会議員は、どの国でも他国の政治家の悪口を言わないが、安倍演説に対して、米国議会人の評判はかなりよいようだ。またインターネットや周囲の人々の感想を聞く限り、この演説の美しさ、論理構成のシンプルさを素直にたたえる人が多かった。「いい人」と評価されるベイナー下院議長は、演説の硫黄島の場面で、スノーデン中将と新藤議員が手を取り合って立ち上がった時に泣き出していた。私も感動した。言葉の力を戦略的に使い、内容も崇高で美しい、この演説を高く評価したい。

論点1・日本をおとしめるおかしな人々

さて、ここで二つの論点がある。第一は「いつもの人たち」の行状である。日本を貶める内外の人たちが繰り返す行動だ。

朝日新聞のこの演説を伝える一面トップ記事の見出しは「侵略おわび文言なし」。普通に読めば、この演説の中心テーマは「希望の同盟」だ。日本の代表の晴れ舞台で、日本人なら誇らしげに思うのが普通だろう。なぜ無理に安倍首相を貶めるのだろうか。そして、なぜ中国や韓国にこの場でおわびしなければならないのか。

朝日新聞をはじめ、多くの記事はゲティスバーグ演説との関連や米国での「慰霊の作法」を指摘していない。日本のメディアの記者には、米国史の教養さえない。筆者は、悲しく思う。なぜ日本のメディアは、自国の政治リーダーのすばらしく、意義深い発言を取り上げないのだろうか。無理に「けなす」のではなく、良いことは「良い」となぜ、素直に評価できないのか不思議だ。

そして中国、韓国は、メディアと外務省が、反省がないと批判したという。その周辺の日本人も同調している。なんで日本人が米国議会までいって謝罪しなければならないのか。大きなお世話だろうし、外交的に無礼だ。

また在米国の人や留学経験のある自称インテリの小西ひろゆき立憲民主党議員は、英語が下手だと喚いていた。この人たちには、私の述べたような軍事史、米国史の教養はなかったらしい。

このような演説を前にしても、パターン化した反応しかできない愚かな人々の感受性も、知性も、筆者は理解できない。もう相手にしない方がよい。私は、日本の人々の見識の高さに確信を持っている。それと、一部の人のレベルの低さの乖離に、またうんざりした。

論点2・戦後70年の向き合い方

第二の論点は、戦後70年問題への向き合い方だ。今年は戦後70周年の節目の年で、また戦争認識の問題が蒸し返されるだろう。

筆者は自分で勝手に名付けたが「ゲティスバーグ・メソッド」で乗り越えられるように思う。それは「倫理的な糾弾を入れずに戦った人々と犠牲者への顕彰」「その死は価値のあるものだったという定義」「未来への提言」で、慰霊の形を構成することだ。

おそらく日本人の大半は、70年前の自国とアジア諸国民を中心にした戦争の惨禍を悲しく思っているだろう。しかし自分が何もしていない以上、一部のアジアの国や日本の奇妙な人たちがいうように「責任を取れ」という主張には困惑しているはずだ。その最大公約数的な考えも、この「メソッド」に織り込める。

第二次世界大戦の犠牲者すべてに敬意を持ちながら、過度におごることも卑下することもなく、世界とアジアの自由と経済発展に貢献する。私たちの身の回りの小さな世界でも、国全体でも、今の行うべき諸外国と向き合う態度だろう。自省と哀悼は示しても、過度に「お詫び」を繰り返す必要はない。それはこの安倍首相演説で示された論理構成だ。外交の「チーム安倍」も、この演説の路線を踏襲していくと予想できる。それは妥当な考えだ。

外交と発信力の点においては、安倍首相と政権を現時点では評価すべきと、私は考えている。「けなす」という日本の政治文化に左右することなく、自然体で戦後70周年に向き合い、今後に禍根を残さないようにしたい。

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