「奇妙な人たち」が示す国債市場の潮目の変化

石井孝明
ジャーナリスト

財政は大丈夫と熱く語る人たちの不思議

暴落の前には「天才」が現れる(Jガルブレイス)(iStock)

以前からTwitterで奇妙な現象が起こっている。「#税は財源ではない」「#政府の借金は国民の資産」とタグをつけ、「日本の財政は大丈夫だ」「財務省が国を滅ぼす」「緊縮財政をやめろ積極財政だ」とという趣旨の発言を叫び続ける人たちがいる。

熱く語る人たちのプロフィールを見てみた。みんな社会人のようだ。大学以上で経済学を学び、学位を得た経験を述べる人、金融の専門職はほぼいない。フォロワーは2桁から3桁と多くはない。そうした発言をする有名人の主張を丸写ししてる。経済学を体系的に学んだ形跡はなく、つぎはぎの情報を他人にぶつけてくる。政治的には「れいわ新選組」というおかしな極左政党と、右派の人に支持が偏在している。

そして異論を示す人を攻撃し、粘着する人がいる。有名ディーラーだった元参議院議員の藤巻健史氏などに対してだ。一介の経済記者で普通の経済情報を語る私にも絡んでくる。その粘着では、経済の専門書を引用するのではなく、「教祖様」のYoutube画像かネット記事をTwitterに貼り付ける。相手の意見を聞き、対話する意欲はないようだ。

そもそも、この「積極財政論を語る奇妙な人たち」(このコラムでの仮称)は現実の経済現象を観察しているのだろうか。2022年度予算では、政府の税収が68兆円(見通し)で、国の歳出は110兆円を超える見込み。日本の借金が総額約1200兆円だ。緊縮どころか大変な放漫財政だ。そして世界的なインフレを背景に、投資家による日本国債売り、その結果としての金利上昇という動揺が金融市場で始まっている。外国人投資家は、23年1月から日本国債を大幅に売り越した。相場が動きかねない危険な兆しだ。

日銀は2022年末に、長期金利の誘導目標を引き上げた。今年4月からの日銀の新執行部が、どのようにこれまでの緩和政策を転換するかを、経済に関心を持つ人は見ている。そうした経済状況なのに奇妙な人たちは「積極財政しろ」と10年前と同じ言葉を叫び続ける。

そもそもこの人たちは、日本の財政は大丈夫かを決めることはできない。日本国債の価格とその反映する金利の動きが、日本の財政が維持できるかどうかを決める。市場が決めるのだ。そして日本政府が日本人以外の人を含めた投資家に、市場を通じた介入という隙を見せている。これは一愛国者として、私は不快だ。

日本政府の税収と歳出には巨大な差があり危険な状況にある(財務省資料)

「財務官僚はバカだ」「私の経済理論は正しい」…あなたは天才か?

私に絡んできた「奇妙な人たち」の一人に次のように言った。「あなたの行為は何の意味があるのか。ツイッターで無意味な演説するより、大学の教養課程レベルの経済学の基本書を買って読んだ方が自分のためにいい。そして財政大丈夫の『政治活動』は、その珍説を売って儲ける一部の人の「養分」になる以外には、社会にも、自分の生活にも、資産の運用や防衛にも、何の役にも立たない」。

するとその人は自分の学習歴、学歴のことを語らず、「俺は大工で正社員だ。平均年収より上で車を2台持っている」と返事をしてきた。つまり自分は優秀だと主張したいらしい。もちろん「大工」は素晴らしい職業であり、その面で優秀な人なのかもしれないことに敬意を持つ。しかし、その事実は、主張する経済論が正しいということの証明には当然ならない。

そして不思議なのが、そうした人たちの熱さと自信だ。

同世代で一番頭の良い人たちが人類の歴史5000年の間、経済について考えてきた。財務官僚や、日銀職員、経済学者は、今の日本で、「筆記試験レベル」では、その分野のトップレベルにいる人たちだろう。「奇妙な人たち」はそうした人をバカ呼ばわりし、自分が正しいと喚く。経済理論に時には間違いはあるかもしれない。しかしYoutubeで数分のコンテンツの視聴しか経済学の学習歴がなさそうな人たちが、学力で優秀な人を批判し、バカ呼ばわりしている。これは横から見ると、不思議で滑稽だ。

リフレ(デフレ脱却の諸政策)なら、まだ政策上の議論になる。しかし、そうした政策をアベノミクスで続けても日本経済の競争力強化という重要な問題での政策効果はあまりなかった。財政大丈夫という話は変で無意味だ。

現実社会では相手にされない議論

「奇妙な人たち」の主張は、現実社会で相手にされていない。政界では自民党の西田昌司参議院議員、立憲民主党の原口一博衆議院議員、れいわ新選組の山本太郎氏が熱く語っている。前者2人は「ディープステート(闇の政府)」という言葉を使う、陰謀論の好きな人たちだ。そして西田氏は自公連立政権で政府の役職に、原口氏は党の役職についていない。つまり所属する政党で、「トンデモ」扱いなのだろう。それはこの奇妙な経済論を語ることも一因のようだ。山本氏は存在が「トンデモ」扱いだ。

数年前に財務省を取材した時に、現役のキャリア官僚に財務省は悪だという「奇妙な人たち」への感想を聞いたことがある。「財務省がそんなすごい組織なら、日本の財政はこんな状況になっていませんよ」とため息をつかれた。

ある銀行の資産運用部門の幹部に、「奇妙な人たち」への感想を聞いたことがある。こんな返事が返ってきた。「信用で金融資産の価値は成り立っている。それのに何で今の日本の状況で円や日本国債、それに信用を与える日本政府を信じられるのか。不思議な人たちだ」

「ただしカモがネギを背負って市場でウロウロしているのはありがたい。同じ日本人として気の毒だが、素人さんの資産を美味しくいただかせてもらうので、もっと市場に参加してほしい」。

日本経済を熱く語る「奇妙な人たち」は、自分の主観では国を憂う国士なのかもしれないが、金融のプロから見ると「カモ」なのだ。

暴落の前には「天才」が現れる

こうした奇妙な経済論を議論する価値はあまりない。ただし私は、日本国債と財政の先行きには関心がある。こうした「カモ」が社会の雰囲気や市場の流れを作ることがある。その点で興味がある。

「積極財政論を語る奇妙な人たち」の姿に、私は2つのエピソードを思い出した。

経済学者のジョン・ガルブレイス(1908ー2006)は、面白い経済の解説書を大量に書いたことで知られる。その中の「大恐慌1929」(日経BPクラシックス)「バブルの物語」(ダイヤモンド社)で次のような警句があった。

Jガルブレイス(ウィキペディア)

「暴落の前には『天才』が現れる」

どのバブル(加熱した経済状況)でも、新しい理論を発明したという人が出てくる。経済は「需要と供給」のバランスという基本原則に従って動いているに過ぎず、バブルも一時的現象で必ず均衡に戻る。ところが一時的な加熱現象を「説明した」「新しい理論だ」「私は天才だ」と叫ぶ人がバブルの際に出てくると、ガルブレイスは指摘する。

日本国債は日銀の大量購入で買い支えられてきた。異常で歪められた姿だが、専門的な市場であり、一般社会にそのおかしさは伝わらず、その取引は熱狂は生んでいないしバブルとは言えないだろう。しかし異常な政策はもう続けられなくなっている。

日本の異常な財政と、それを支えてきた日本国債市場をめぐり、財務官僚や経済学者を「バカだ」と喚く、「天才」たちの数が日本が増えている。これはこの市場が変調する予兆に私は見えてしまう。ガルブレイスは今の日本について、何というだろうか。

靴磨きの少年の一言で相場の動きを知る

もう一つ、「靴磨きの少年」の話を思い出した。ジョセフ・ケネディ(1888ー1969)は、大統領のケネディの父親だ。株式投資で財を成して政界に進出した。

ジョセフ・ケネディと靴磨きの少年(NHKスペシャルの画面キャプチャー)

彼は1929年に株式市場が加熱している時に、靴磨きを頼んだ。その少年に「おじさん株屋かい。〇〇の株を買った方がいいよ」と言われた。昔は街に、靴磨きの少年がたくさんいた。

プロのケネディは、そのような一般人までも株の話にしたことで、相場の過熱を感じた。それで近く株式市場が下がると判断し、保有株を売り空売りポジションを組んだ。結果として、大半の投資家が破滅する中で、大儲けをしたという。

できすぎで、作り話と思う。しかし市場関係者には、広く知られている教訓話だ。私は「靴磨き」という職業を批判する意図はない。しかし、先ほどの「大工」の人の熱い日本経済論も加えて考えると、日本国債を巡っても似た状況になっている。

素人が騙され、そして騒ぎ、それに変な政治家や日銀が引きづられる可能性がある。安倍晋三氏のアベノミクスとは金融緩和に依存したおかしな政策だった。それが修正されずに「行き過ぎ」の状況になりつつある。

国債市場、債券市場で、アベノミクスの負の側面の精算が求められる時が近づいているようだ。国債市場が混乱すれば、日本の財政は今のような放漫な運営はできなくなり、社会は混乱するだろう。混乱がなくても、1200兆円の借金への恐怖で、日本の財政も政策も、機動的な対応ができなくなっている。経済を壊す緊縮策をする必要はないが、今の金融市場の危うい状況は誰もが認識した方が良い。ただ今年は世界的に不況突入の兆しがあり、インフレと金利上昇が沈静化する神風が日本に吹くかもしれない。しかし、そうなっても問題の先送りに過ぎない。増税はしてほしくはないが、結局またいずれ、この巨額の国の借金は問題になる。

「積極財政論を語る奇妙な人たち」が何を騒ごうと自由だ。しかし私は、こうした人たちの起こす騒ぎや天下国家を語る言葉に巻き込まれず、淡々と自分の生活とささやかな資産の自己防衛策を行いたいと思う。

1 件のコメント

  1. 三浦小太郎 より:

    あまりいい例ではありませんが、危機の時代には「天才」が表れる、という一つの例としては、「大恐慌後マルクス主義が猛威を振るった」ということがありました。これは左右両翼においてで、ファシズムの側も、マルクス主義の論理を彼らなりに唱え、「ユダヤ金融資本(今ならグローバリズムとかディープなんとかとか)」との戦いを扇動しました。まあ、とにかく極論や陰謀論やトンデモ論はろくなことにならないのです。

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