書評「逝きし世の面影」−かつての日本をいとおしむ

石井孝明
ジャーナリスト

著者渡辺京二さんが亡くなる

(写真1)深川江戸資料館(東京・江東区)で再現された庶民の暮らし。天保年間1840年代に、「夫と死別した30歳の三味線・常磐津の師匠の独り身のおしずさん」と設定した女性の長屋での暮らしを、当時の絵と資料から再現した。もちろん空想するしかないが、当時の庶民は「日本文明」の中で、幸せに暮らしていたのかもしれない。(筆者撮影)

在野の歴史家である渡辺京二さんが12月25日に92歳で亡くなった。渡辺さんの本をかなり読んでいたので、深い悲しみを覚えた。ご冥福をお祈りする。

渡辺さんの代表作の「逝きし世の面影」(平凡社)を紹介したい。この本は幕末から明治にかけて、日本を訪れた外国人の見聞を集め、当時の日本がどのような姿であったのかをまとめた本だ。過去の見聞を集めただけだったら、多くの人に評価され、1998年の発表から読まれ続ける名著になっていない。この本は2つの点で特異な本になっている。

一つ目は、外国人に映った市井の庶民の生活の姿を紹介していることだ。西郷隆盛や坂本龍馬などの幕末の英雄、激動した社会・政治の動き、戊辰戦争の描写はほとんどない。美しい心、独特の美意識、倫理観を持った人たちの作りあげた国の姿が語られている。この本を通じて、時代の空気を感じ取れる。それが美しく、明晰な文章で綴られている。

二つ目は、渡辺さんの江戸・明治初期の時代への見方が打ち出され、それによって情報が編集されていることだ。文明とは、文化を包摂する普遍性、世界性を持つ大きな概念とされる。渡辺さんは、江戸末期から明治初期の日本人が作り出したものを「文明」と捉え、価値観、社会、経済など独特の体系を持った、そして「逝って」しまった世界と捉えていた。(第1章・ある文明の幻影)

19世紀に世界各地を植民地にし傲慢だった西欧人は、他の国への態度と異なり、揃って当時の日本の姿に驚きを覚え、感動した。西欧的価値観の影響を受けた現代の日本人は、その驚きに同調するはずだ。そして、その「文明」を作った人たちの子孫であり、また同じ場所に暮らしているにもかかわらず、それが消えてしまったことに、郷愁と悲しみの混じった、不思議な感覚を覚えるだろう。

かつてあった「日本文明」への驚きと感動

(写真2)川崎市立日本民家園(神奈川県)にある19世紀半ばに作られた宿場の宿「三澤家住宅」。長野県の西伊那から移築。旅籠(旅館)兼薬問屋。日本を訪問した外国人たちは住居の清潔さ、簡素な美しさをほめる人が多かった。(筆者撮影)

19世紀半ばから後半の日本はどのような姿だったのか。

人々は陽気で常に笑って幸せそうだったという。「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌の良さがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったりと融け合う。(中略)絶えず喋り続け、笑いこけている」(英国人水道技師ヘンリー・パーマー、1886年、明治19年)

日本人の特徴は「陽気なこと、気質がさっぱりとして物に拘泥しないこと、子供のようにいかにも天真爛漫であること」(スイス外交官、アンベール、1863年)。

日常生活では、その活気、生活の中に満ちた装飾品の美しさに外国人の誰もが感動した。「日本は汲めども尽きぬ何かを持った、意外性の国です。(中略)その新奇なものたるや、日本人の生活では、ほんのありふれた日常的なことなのです」。(米国人旅行家イライザ・シッドモア、1885年ごろ)(以上の3証言、第2章・陽気な人々)

そして子どもたちは大切にされ「楽園にいる」。(幕末の初代英国公使ラザフォード・オールコック)(第10章・子どもの楽園)

貧しくはあっても、生活は節度があった。「住民の身なりはさっぱりしていて、(中略)貧乏に付き物になっている不潔さというのもが、少しも見られない」(米国領事タウンゼント・ハリス、1856年の伊豆下田近郊の描写)(第3章・簡素と豊かさ)

身分制度の束縛はあったが、人々はその重荷を外国人に感じさせなかった。上層民の武士と庶民は断絶しているゆえに「町人はヨーロッパの国々でもその比をみないほど自由である」(長崎海軍伝習所教官、オランダ海軍士官ヴィレム・ファン・カッテンディーケ、1850年ごろ)(第7章・自由と身分)

そして、美しい日本の風土や季節を繊細な感性で利用する日本人の生活は、独特の美しい世界を作り上げていた。以下は正月の明治初期の東京近郊の光景だ。

「何千という凧が30メートル上空で入り乱れ、うなり声を上げていた。少なくとも一万人が群れ集まっていた。台地は豊かな緑におおわれ、そこに家族連れが休息場所をつくり、持参した弁当をひろげていた(中略)(見ず知らずの外国人である著者に)行く先々で手をひかれ、草の上に坐らされた。日本人たちは酒、茶、食事、煙草などでもてなし、何とか楽しんでもらおうとやっきになっていた。ここには詩がある。人が望むありとあらゆるものが渾然一体となって調和し、平和、底抜けの歓喜、さわやかな安らぎの光景が展開されていた」(英国のプラントハンター(英国が国の支援で当時行っていた世界の植物の調査・収集する学者)ロバート・フォーチューン、明治10年、1877年ごろ)(第11章・風景とコスモス)(ここでのコスモスは、小宇宙、小さな世界の意味だが、秋桜のコスモスの意味もかけているだろう)

オリエンタリズム(西欧的価値観からみた東洋への偏見)、旅行者の表面的な観察では説明しきれない、美しい文明が確実に日本にはあった。

こうした文明は消えてしまった。当時の日本人の大多数の意志で、そうした古い日本を捨て、欧米に追いつき、追い越そうと富国強兵、経済発展を目指した。その結果として、今の日本がある。しかし、振り返ってみると、私自身の生活にも現代日本社会にも、かつての日本の作った文明に溢れていた、笑いも喜びも節度も美しさも、少ししかないように思える。

本当にそうした文明を捨ててよかったのか。この本に描かれたかつての日本の姿を振り返ると、悲しさと疑問が湧き起こる。

日本への愛着、読書の喜びを得られる本

渡辺さんは「現代日本を過去の文明の姿を示して相対化する」という意図でこの本を書いた(あとがき)。ところがこの本はさまざまな読まれ方をし、かなりの影響を社会に与えた。

2000年ごろから、経済低迷で自信を失った日本を再評価しようという動きが強まった。その社会の流れの中で、「美しい国」(2006年の第一次政権)「日本を取り戻す」(2012年の政権交代)のキャッチフレーズを掲げた安倍晋三氏が長期政権をになった。安倍氏のブレーンや支持した保守派のインテリたち、記憶では故・渡部昇一氏や故・岡崎久彦氏などがこの本を絶賛していた。この本は、その流れに思想的な影響を与えたようだ。

一方でリベラル派の人たちもこの本をたたえた。江戸やエコロジーブームの中で、日本人の心の美しさ、循環型社会を評価し、「それに引き換え、今の日本は、安倍と仲間達は…」と、日本批判の文脈でこの本を使った。記憶では前法政大学学長で江戸を専門にする歴史学者の田中優子氏などだ。

ただし、そうした利用は、渡辺さんの本意ではなさそうだ。彼の葬儀が営まれた寺で、次の語った言葉が張り出されていたという。

「世界が不景気になったから自分は不幸になったとか、日本は世界で一流国となったから幸せになったってことは一切ない。僕の生涯の幸福というのは一切そういうのとは関わりがなかったの」。徹底的に市井の人の目線で、歴史を見続けた渡辺さんの姿勢が要約されている。

「逝きし世の面影」の解釈はそれぞれの読者がすればいい。このコラムを読まれた方が未読ならば、ぜひ読まれ、思索の糧にすることを勧めたい。どのような政治的見解や価値観を持っても、かつて日本にあった文明をいとおしむ、悲しみを含んだなんとも言えない気分、日本への愛着、先人とのつながりの実感、そして新しい知識で人生が豊かになったという読書の喜びを抱けるはずだ。

3 件のコメント

  1. HellDiver より:

    読むとタイムスリップしてかつての江戸に行ってみたくなります。
    渡辺京ニさんがこの本を書いて下さった事に感謝。どうか安らかに。
    ところでこの本のような視点での日本史研究を耳にしません。不勉強な者で知らないだけかもしれませんが、本道から離れている為もあるのかなと思います。

    • 石井孝明 石井孝明 より:

      日本賛美というのが邪道になるんですかねえ。ただ、19世紀の外の視点というのは、ご指摘のとおり、なかなかなく、感動的でした

  2. rubyring2014 より:

    かつての世界を低く見せなければ成立しない、現在の文明の支配者たちにとって、この本の存在は、都合の悪いことこのうえないと思われます。今の文明よりも、ずっと本質的で、人の生を考えた文明があったとわからせることになるからです。そのためこの本は、あまり大きく取り上げられることはありませんが、日本だけでなく世界中の人に読んで欲しい本だと思います。

コメントを残す

YouTube

ランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

最近のコメント

過去の記事