社会に貢献する米国科学アカデミー―日本は?
目次
社会問題に中立的に知見を出す米国の学者たち
日本学術会議の改革論が行われている。異様に独立性の強いこの機関の国の関与を強めようという話だ。左派の文系学者を中心に、不毛な反対論を繰り返している。この組織が社会に貢献しない組織であることは、私の経験から述べた。(with ENERGY「役立たずの日本学術会議ー福島・安保では有害」)毎年30ぐらいの報告書を出すが、誰にも読まれていない。
これと対照的な米国科学アカデミー(NAS)の活動を紹介したい。日本学術会議と同じように、学者を集め、学術政策に提言させる国の組織だ。
米国と日本の科学界を対比すると、専門家、研究者の違いに悲しくなる。日本は専門家の知見の必要な科学的な問題が、社会にあふれている。新型コロナウイルス、遺伝子組み換え作物、狂牛病、食品の安全、福島の復興と放射線への不安の問題などだ。政治問題化した論争に参加する学者ばかりで、中立的立場からの役立つ分析は少ない。専門家の話に全て従う必要もないが、その意見を尊重して、社会が判断し動くべきだ。ところが、専門家は役立つ提言を出さず、社会は学問を問題解決に活用しない。日本では論文を書かない学者たちが、大学の肩書を得て、発言をしていることが多い。
日本の科学界は、社会問題に向き合いそれを解決する態度が乏しすぎないだろうか。壊れやすい科学への信頼を、進んで維持し、コミュニケーションを深める努力をしていないのではないか。日本の科学界は、米国の科学界から学ぶべきところがたくさんあるように思う。米国の学者たちの発信力というソフトパワーも参考にすべきだろう。その実績を生み出す制度や設備も優れているが、その奥底にある研究者の開かれた精神と探究心、社会性への配慮だ。「アベガー」と愚かな国会前のデモに参加することが、学者のやるべきことではない。社会に役立つ知的貢献をすることだ。
米国科学アカデミーは2016年5月、「遺伝子組み換え作物-経験と見通し」(Genetically Engineered Crops – Experience and Prospects) という報告書を発表した。この作物を総合的に評価するものだ。この作物は世界で使われているのに、環境派や欧州の左派の標的にされ、変なイメージが広げられてしまった。それについて科学的知見を集めたものだ。Googleスカラーで見ると、これまで660件の学術論文で引用されている。論文引用の数は、その論文の影響力の大きさを示す指標で、かなり理系論文では多い。
2016年当時、特別委員会の委員長であるノースカロライナ州立大学教授のフレッド・グルード教授にインタビューした。それを各所で紹介したが再掲載する。グルード博士は、昆虫学とその農業への利用での研究で、世界での第一人者として知られる。委員会は、20人の多様な背景の委員らの共同執筆。そして、この作物栽培の反対派まで含めて多くの人の意見を聞き、委員会の知見が一般の人に広がるように努力していた。
遺伝子組み換え作物、社会の不安に応える
インタビューは、ノース・カロライナ州立大学で2016年9月に行った。
問(石井)・このリポートが作られた背景を教えてください。
クルード博士・1996年に米国で、遺伝子組み換え作物が商業製品として投入されてから20年になりました。モンサント社などの米国企業の力によって、それは世界に広がりました。それで利益を得る人が増える一方で、接する機会が増えて、不安を持つ人、もしくは実情を知りたいという人の数も拡大しています。米国科学アカデミーの中でも、科学的な知見を集めるべきだという意見が広がり、特別委員会の設置が決まり、委員長に指名されました。
問・結論はどのようなものでしょうか。
クルード博士・遺伝子組み換え技術は、これまでの農作物で行われてきた品種改良と、影響の点では明確に区別できるものではないということです。
また遺伝子組み換え技術による利益とリスクは共に存在するということです。
人間の健康への影響面では、これまで、それによる健康被害は確認されていません。また環境への影響については、これまでのところ確認されていません。しかし、技術が変化しているので、引き続き調査が必要です。
経済面では、米国の農家にはワタ、ダイズ、トウモロコシで、害虫を減らすなどして収穫を増やし、経済的利益をもたらしました。米国全体でも、収穫は気候に影響を受けるものの、その普及によって収穫は増えています。世界各国でもそのようなプラス面があります。
社会的影響では、その技術が急速に代わるので、その規制手法を進化させるについての対応が必要であると思います。
問・リポートの作成では、どんなことに気をつけましたか。
クルード博士・米国の科学アカデミーが以前に、「リスクを理解する-民主主義社会における決定の情報提供のために」(Understanding Risk: Informing Decisions in a Democratic Society)というタイトルのリポートを発表しました。その一節が、さまざまな場所で引用されています。
「リスクをめぐる純粋な技術的な評価は、間違った質問にも答えを提供してしまうし、意思決定者にほとんど使われなくなってしまう」
A purely technical assessment of risk can result in an analysis that accurately answered the wrong questions and will be of little use to decision makers.
つまり問題のリスクだけを取り出して評価しても、その数字や確率が問題から切り離されて使われたり、社会にまったく使われなかったりするなど、意味を持たないものに成りかねないということを言っています。総合的に問題を評価しなければなりません。
遺伝子組み換え作物の問題でも、それが人体にどのようなリスクがあるかという、狭い分野で議論しても、意味を持たないだろうと考えました。広い視点から問題を考えることが必要と考えました。そのために、15章、398ページという大部の報告書になりました。作成に2年かかりましたし、関連調査は別に公開するという、大変な量になっています。
またNASには報告書作成の手引きがあります。
「対象の問題に関係する人、もしくは知識を持つ人に情報の提供をうながすように常に配慮されなければならない」
「報告書は、問題に関わるすべての信用される見解に支えられるべきである」
専門家、利害関係者の関与は必要です。しかし、それは時に「信用」と両立することが難しくなります。「利害関係があるのではないか」「お金をもらっているのではないか」という疑念は、提供された科学的に正しい情報であっても、信用性に影響を与えてしまいます。「信用」を維持するのは、大変難しいことです。
反対派の意見を聞き、情報を集め公開
問・信頼性を確保するためにどうしましたか。
クルード博士・委員会には多様な考えの人を入れ、議論の過程を公開し、多様な見解をリポートに反映させようとしました。
まずさまざまな背景を持つ専門家20人を集めました。私のような昆虫学、農業学の学者、社会学者、経済学者、弁護士、コミュニケーション専門家、遺伝子組み換え作物の技術者、医学者など多様な研究者が参加しました。最初は意見のすりあわせが大変でしたが、事実に基づき見解を述べるということで一致し、報告書の執筆を進めました。
そして意見公聴会を行いました。聞いた人の数は80人です。遺伝子組み換え作物を開発、販売している米国のモンサント、独のバイエル社の幹部、行政官、科学者など。遺伝子組み換え作物に害があると主張し「遺伝子組み換えルーレット」と反対キャンペーンの映画を作った作家のジェフリー・スミスさんも呼びました。遺伝子組み換え作物による土壌の汚染を主張する民間団体、それを食べさせたマウスに腫瘍が発生したという、論文を発表したフランスの医学者などにも、出席を要請しました。(編集者注・これらの論文の妥当性は、各専門家に批判されている)そういう方は出席せず、ビデオメッセージだけを送ってきました。その80人との会合や一般の方との公聴会の様子はウェブサイトで見られます。
問・報告書を読んで、驚きました。はっきり言うと、「過激派」とか「トンデモ」のような人もいます。それでも呼んだのですか。
クルード博士・こういう報告書はNASのリポートで決して典型的なものではありません。あなたの指摘通り、会員や事務局に、嫌がる人、批判する人はいました。科学的に価値のない意見を掲載する必要はないという考えです。
ですが、私も委員もさまざまな意見を聞きたいと思いました。結局NASもそれを認めました。そして、どんな意見も聞くという態度によって、多くの人が積極的に意見を委員会に言うようになり、さらにさまざまな意見を集められたと思います。
報告書は900の専門論文を引用し、事実の評価から導かれるものだけを記述し、それに対して委員会として意見をまとめました。報告書は草稿段階でウェブ上にそれを公開し、コメントを募集しました。700ほどのコメントがつきました。それを読み、最終原稿ではできる限りその質問への返答をしました。ただし賛成派、反対派に意見は隔たって、それぞれのグループでは主張がよく似ていました。また1800人の専門家に査読してもらい、コメントをもらいました。
読みやすいように図表を入れ、ウェブでも公開する工夫もしました。ツイッターやフェイスブックで告知し、全文をダウンロードした数は約2万件になりました。これは米国の科学的な論文の中でもかなり多く読まれた方でしょう。
また意見、引用論文は、その出典、執筆者を公開しました。米国の研究機関や大学には、その研究の支援者、目的を明示するルールをつくっているところがあります。それがある場合は、その研究の背景が分かるようにしました。先ほど述べたように「関係者が書いている」「お金が絡んでいる」と思うと、その情報に関する信頼度が変わってしまいます。そのために最初から明らかにしました。
報告書を発表しただけにしたくはありませんでした。発表後も相互に意見がやりとりできるコーナーをつくりました。こうした長い報告書ではどんなに注意しても間違いが見つかってしまう者なので、それがあると常に修正しました。
その後も、高校や大学生が授業で、この問題を取り上げ、議論の対象になることを呼びかけています。
情報とプロセスの公開で、信頼性を確保する
問・社会の重要問題について、社会的な答えを出そうとする米国の科学者の態度を尊敬します。そしてそれを受け入れる社会の寛容性と、世論の健全さにも感銘を受けます。福島原発事故の後で日本では放射能パニックと社会混乱を克服していません。それは専門家の不作為が一因です。日本学術会議はこのパニックを止めるために、何にも役立ちませんでした。ある日本の政治家は、その無能さを「ひな人形のようだ。見栄えだけいいが何もしない」と話していました。一般人の動きも違います。日本ではデマ拡散者、それに踊る人が目立ちました。日米両国の知性の差に悲しくなります。
クルード博士・アメリカを評価しすぎです(笑)。私は日本の福島事故の状況を詳しく知りませんが、大変な状況であったと聞いています。
問・放射能が拡散され、また専門家が原発は安全と嘘をついたのに事故が起こったという印象が広がりました。その結果、専門家への信頼が崩壊。その専門家や事業者が原子力政策から排除され、意志決定が間違うという悪いサイクルが今、日本で生まれているように思えます。
クルード博士・そうですか…。 私の大学は共同プロジェクトで今、島などの閉鎖地域に不妊にする遺伝子処理をしたマウスを放ち、その駆除をしようという共同研究の計画があります。数年経つと、子どもが生まれないので、マウスがいなくなるという予定です。ところが、それには住民の心配が当然強くあります。今、話し合いを深め、倫理委員会をつくって、どのような問題が起こりえるか、問題を検証しています。そこでも情報公開、リスクの洗い出し、倫理性の検証、地域住民との対話と信頼の醸成を続けています。
社会への情報の徹底した公開、そして発信を信頼されるものにしていく配慮が、科学問題のコミュニケーションで必要でしょう。
石井孝明
経済記者 with ENERGY運営
ツイッター:@ishiitakaaki
メール:ishii.takaaki1@gmail.com
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