正月に考える、災害と神社の不思議な関係

石井孝明
ジャーナリスト

東日本大震災、神社の種類で被災の違い

(写真1)日本で最も参拝客の多い明治神宮(2022年12月、筆者撮影)
(写真1)日本で最も参拝客の多い明治神宮(2022年12月、筆者撮影)

神社は日本人の生活の中にある。この正月でも、大半の人が初詣に出かけただろう。宗教施設であるだけではない。空間の履歴や人の思いが埋め込まれた「タイムカプセル」の意味がある。その一つの例として、災害との関係を取り上げてみたい。

私は東京在住だが、東日本大震災の後で、原子力問題や防災経験の取材のため東北を20回ほど訪問している。震災直後に津波で地域全てが破壊されているのに、神社だけが山沿いの高台や丘の上で残っている姿を何度も見た。

(写真2)JR常磐線富岡駅(福島県富岡町)近くの高台にあった仏浜薬師堂。2016年10月、筆者撮影。東日本大震災の時に津波がこの下まで押し寄せ、周辺は流されてしまった。しかし、この堂は被災しなかった。明治20年代に建てられ地域の集会などに使われたが、今は地域整備で壊されてしまったという。この薬師堂は海からの僧の来訪伝説とも関係しているという。(富岡町についてのブログ記事)
(写真2)JR常磐線富岡駅(福島県富岡町)近くの高台にあった仏浜薬師堂。2016年10月、筆者撮影。東日本大震災の時に津波がこの下まで押し寄せ、周辺は流されてしまった。しかし、この堂は被災しなかった。明治20年代に建てられ地域の集会などに使われたが、今は地域整備で壊されてしまったという。この薬師堂は海からの僧の来訪伝説とも関係しているという。(富岡町についてのブログ記事

これは専門家の調査でも裏付けられる。「東日本大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究」 (土木学会論文集、VOL68,2012)という研究がある。宮城、岩手の沿岸部の例であるが、神社と被災の状況を示したものだ。

震災では、素戔嗚(スサノオ)を祀る神社、熊野三山の神を祀る神社、八幡神を祀る神社は被災が少なかった。一方で、天照大神(アマテラスオオミカミ)を祀る神社、稲荷神を祀る神社の被害は多かった。

スサノオ系神社が守られた謎

この調査は建築学者が行っており、民俗学などさらなる研究が必要であることを強調していたが、以下の推論が示されておた。被災状況の差は神社の成り立ちによるものだという。

スサノオ系神社は、古くからあり、古代人の昔の信仰の場所が転じた場所が多い可能性があるという。スサノオは、神の国である高天原(たかまがはら)で暴れて追放された後で改心し、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した。力を象徴する神だ。放浪の伝説のためか、海運に関わる人の信仰の対象にもなった。調査対象17社のうち、被災は一部被害が1社だった。

熊野系神社は、和歌山の熊野三山の神を祀る。山の信仰に加え、これも海運の神だ。そのために山の端や、海の近くでも高台の目立つところに建っていた。調査対象11社のうち一部被害が1社だった。

八幡神は武神だ。開発領主となった武士が屋敷や領地に置いたと推定される。これは交通の要衝や農地などに多い。また村の鎮守として、村の中心地にあった。調査対象18社のうち、被災は6社だった。

一方で、アマテラス系の神社は18社中9社、稲荷系の神社は11社中7社が被災した。アマテラス系の災害が多い理由は不明としているが、稲荷系は農業神であるために農地、つまり低い平野にある神社が多かったという。

外来の権力、技術は地域に根付いていなかった?

ここから先は、私の推測だ。宮城、岩手は、869年の貞観地震(じょうがん)とそれによる津波で、沿岸部が破壊された。神社制度を作った「延喜式」が京都の朝廷によって作成・公布されたのは905年だ。その後、神道は朝廷の支配の道具にもなった。

東北は、京都の朝廷から「侵略」を受けた土地だ。そしてスサノオは、神の国で反乱をした神だ。貞観地震で被害を受けない、もしくは限定的だった東北の古い宗教施設が、朝廷の脅威に直面する中で、スサノオの名前を借りて姿を変えて生き残ったのではないかと思う。古代では、アニミズムという原始宗教的な自然崇拝が主だった。山や岩、大木などが、信仰の対象になった。つまり人の住む場所から離れていた。自然災害から守られた場所が残り宗教的祭祀が続いた。スサノオ系の神社は、そうした古代の場所が残っている可能性があろう。

また東北には中世で、各所に熊野や西日本からの貴人や僧侶の訪問伝説が残る。熊野などとも、海運や黒潮でつながる漁の伝播で関係があったと思われる。そうしたところでは津波などから避けられる場所に神社が立った。

アマテラス系神社は、朝廷の支配の浸透を示すもの、権力側の低地の農地での支配拠点かもしれない。朝廷は、各地で米作りと共に権力を広げていった。天皇家が今でも農業、主に米作りをめぐる様々な祭祀を行うのは、その名残りだ。また「平泉−北方王国の夢」(講談社選書メチエ、斉藤利男)と言う本によれば、11世紀に奥州に君臨した平泉政権は、独特の宗教政策を行った。平安仏教は、皇室の敵の調伏による呪いが重要で不動明王信仰と密教要素が強い。その滅ぼされる蝦夷の末裔の藤原清衡はそれを受容せず、衆生救済の法華経を重視した。宿敵源氏の八幡神信仰も入れなかったという。八幡神が関東よりも東北では少ない。

こうした外からの技術や権力は、東北の状況に完全に適合しなかったのかもしれない。もちろん私は特定の宗教や神を批判する意図はない。1000年以上の月日が流れ、東北は恨みも差別もなく、日本全体と同化している。

原子力でも外来技術は問題を起こした

(写真3)高台にあり、今は12メートルの防波堤を作り、さらに安全性を高めた東北電力女川原発(電気事業連合会提供)
(写真3)高台にあり、今は12メートルの防波堤を作り、さらに安全性を高めた東北電力女川原発(電気事業連合会提供)

外来のものと地元の摩擦。同じような構図は、東北での原子力発電所にもあった。東京電力福島第一原発は、日本で最初に作られた原発の一つ。米国の技術を取り入れた。米国では地震、津波の心配が少なく、安全対策で津波による全電源喪失の配慮はなかった。そのために津波で福島第一原発では浸水、地下や地上にあった緊急発電機が破損。その結果、全電源が喪失し、冷却に失敗して事故が起きてしまった。一方で、東北電力女川原発(おながわ)は津波が襲ったが被害はなかった。地域住民の避難所にもなった。

女川原発は日本の電力設備建設に大きな貢献をした平井弥之助氏(1902-86、東北電力副社長、電力中央研究所技術研究所長を歴任)の設計思想に基づくものとされる。平井氏は、宮城県出身だ。この原発の建設にあたって、平井氏と東北電力は、貞観地震、慶長三陸地震(1611年)の古記録、言い伝え、神社・仏閣の被災などを調べ、現地をめぐり安全な高台を建設地として選んだという。最近人気の2人の経済人、「電力の鬼」松永安左エ門氏が平井氏を抜擢し、東北電力会長だった白洲次郎氏も平井氏を大切にしたという。優れた人は、優れた人を見抜く力があるのだろう。

地域外の会社である東京電力は外来の原発技術で福島原発事故という大災害を起こした。そして原子力を地元宮城の状況に合わせた東北電力は発電所を守った。

耳をすませ、過去の人々を思う

その地域の歴史は、現代防災や地域づくりに当然、配慮されるべきだ。そこで神社は重要な役割を果たす。その位置が、存在する地域の履歴と空間の構造を示している可能性がある。文字の情報はそもそも伝わりづらく、消えてしまう。そこに過去生きた人々の思いも、神社で静かに思索を巡らせればわかることがあるかもしれない。いわば神社は「タイムカプセル」の役割を持つ。

日進月歩で変化する現代に、そうした過去の記憶は頻繁に忘れられ、消えてしまう。しかし初詣など、日本人の多くは、過去とのつながりを、今でもかすかに持っている。そのつながりが大切なこと、そして今をより良く生きる道標になることを、正月に神社に接する機会に思い出したいものだ。

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