「奴隷」はなぜ逃げないのか−タッキー、キンプリ騒動から考える

石井孝明
ジャーナリスト

古い芸能界の慣行が垣間見えた

(写真)いろいろな働き方ががあるが、私たちは幸せだろうか(iStock)
(写真)いろいろな働き方ががあるが、私たちは幸せだろうか(iStock/maroke

芸能のジャニーズ事務所から、人気俳優・歌手・演出家で、同社副社長の滝沢秀明氏が退社し、所属する人気グループのキンプリ(King & Prince)の5人のうち3人も退社するという。ただし、いずれもその理由の詳細は不明だ。

この事務所は、巨大な存在感を日本の芸能界で持っている。そして頻繁に人気タレントの独立騒動が起きる。連日、統一教会ネタを語るテレビや芸能雑誌は、このニュースを詳細に伝えない。事務所を忖度して、言い返さない故安倍晋三氏、自民党と統一教会を攻撃する。日本のメディアは相変わらず事実を伝えないし、世界は忖度でできているのだと、悲しいため息をついてしまう。忖度する必要のない一記者である私は、芸能情報はよく知らないけれど、自由に感想を書いてみる。

芸能界にはトラブル状態の独立した人の仕事を干す、「中世的」な慣行があるらしい。この事務所は、昔からタレントとの関係で、いろいろ問題が起きている。21世紀であるにもかかわらず、1エージェントに、働く人の自由が束縛され、社会とメディア(特にテレビと雑誌)がひれ伏す。日本が抱える閉塞感とつながるような変な騒動だった。

たまたま「奴隷」をめぐる知識を得た。それが騒動に奇妙に当てはまるので、紹介してみよう。もちろんジャニーズに所属するタレントを「奴隷」、同事務所を「奴隷主」と誹謗するつもりはない。「状況が似ている」という指摘であり、この文章は精緻な論証というよりも感想だ。

奴隷はなぜ逃げないのか

現代人の私たちが必ず思うのは、「なぜ奴隷は逃げないのか」ということだ。『奴隷のしつけ方』(太田出版)という本を読んだ。

著者はローマ帝国の元老院議員で大農場を経営し、奴隷をこき使う「マルクス・シドニウス・ファルクス」とされるが、実際は解説者として登場するケンブリッジ大学の歴史学の教授のジェリー・トナー氏だ。英国的な品のいいジョークだ。

場所と時代によって違うが、ローマ帝国では最盛期(紀元前1世紀から紀元後2世紀)、総人口の約4割前後の奴隷がいたようだ。なぜそれほどたくさんいた奴隷が制度を覆さなかったのか。自らを解放しなかったのか。その理由は、私が理解したところでは、「自由を求めて立ち上がるよりも、今の状況がましだ」という状況を、さまざまな知恵を集めて体制側が作ったことにある。

道具は「利益」と「恐怖」、つまり古くから言われる「飴と鞭」だ。この本では奴隷への体罰を奨励、ただし財産であるために傷つけないようにすることを強調する。性的な要求を充たし、食事、睡眠などの休息を与える方が生産性を上げることを、当時の記録から探り紹介している。そして知識人もいた家内奴隷は、解放を餌にすることを勧めている。

私たちは現代の感覚で奴隷制度を見るから、「なぜ奴隷は立ち上がらないのか」という感想を抱く。当時の奴隷は、戦時捕虜、また奴隷の子どもが大半だ。前者は異境の地で奴隷になる、後者は生まれたときからの奴隷で、他の世界を知らない。情報も人口9割超が文字を知らず、電子情報どころか、紙の印刷物さえ少ない。反逆は軍が出動し、スパルタクスの反乱(紀元前71年)のように、たいてい死刑となる。

「人権」は19世紀から人為的に作られた概念だ。脱走や蜂起、ストライキは命に危険がある。それよりも現状維持の方が幸せになる。

ジャニーズ事務所は10代の少年を発掘し、訓練し、芸能活動をさせる。多くの美少年たちは、ジャニーズ事務所と芸能界が自分の世界の中心となり、他の仕事や世間を知らない。仕事を干される恐怖をちらつかせながら、名声、給料の優遇などの利益を事務所は与える。独立するという選択肢は、かつての奴隷と同じように大変な冒険となる。飴と鞭は、奴隷制度の時から人事管理の鉄則だ。

もちろん滝沢氏、キンプリと事務所の関係の詳細は知らないが、数千年前からの「奴隷」と「所有者」の関係と似た状況が生まれていたのかもしれない。古代・中世的な変な世界ではよくありがちだ。

奴隷から抜け出すためには

では奴隷から抜け出すにはどうすればいいのか。

物理学者で科学エッセイストのカール・セーガンは、科学教育の重要性を訴える『悪霊にさいなまれる世界−「知の闇を照らす灯」としての科学 』(新潮社)で、逃亡奴隷でのち黒人解放運動の中心になったフレデリック・ダグラス(1818-1895)の生涯を紹介している。ちなみにセーガンの言う悪霊とは、無知から来る非理性的行為の総称だ。

奴隷の目から見た19世紀のアメリカ南部は凄惨な場所だ。ダグラスは餓えないという利益の状況以外は、鞭を使った体罰の恐怖の中で少年時代を送る。

ある日、白人たちが紙を前に口を動かしていることに気づく。19世紀中頃まで欧米圏では黙読よりも、声を出し読書をするのが一般的だった。その切れ端で文字の存在を知る。そこから文字を独学し、そして親切な主人の妻の教育で本と新聞を読めるようになる。奴隷への教育は法律で禁じられていた。

しかし自己教育で、農場以外の世界を知り、そして自我が芽生えた。他と比較して、自分のあり方を考えるようになった。そして「自分の体を主人から盗む」ことを考え、実行、つまり脱走する。彼は、物理的な面だけではなく、精神的な面でも成長し、奴隷ではなくなった。彼はその後、新聞に寄稿を始め、出版をし、奴隷解放運動の言論リーダーになっていく。教育を受けるアフリカ系アメリカ人はほぼ皆無の中で、彼は時代の中心の一つになっていく。学習が彼を成長させ、テロや誹謗から守り、自己実現の手段となっていった。

ジャニーズ事務所のタレントに教育がないとは思わない。どの人も美少年という才能があるから採用されたし、歌、俳優業も訓練している。そうしなければ芸能界で生き残れないだろう。

しかし「相手と戦う」「交渉する」という世間知、情報戦は海千山千の芸能事務所社長の方が秀でているだろう。ジャニーズ事務所が、こうしたタレントとの戦いで常に勝ち続けるのは、当然かもしれない。戦うにはまず情報を集め、また対応策を知り、対策を打つことが必要だ。

自らを「解放」するには何が必要か

そして奴隷をめぐる話は現代的な意味を持つ。奴隷は世界のどこにも存在しない建前になっているが、国際労働機関が17年に発表した推計では約4000万人の人が奴隷的状況(売買、自由の束縛など)になっている。日本社会でも笑えない面がある。日本のサラリーマンのヒアリングをすると、かなり多くの割合の人が他の欧米諸国と違って、「今の仕事が好きではない」「会社を辞めたい」と答えるそうだ。

独立願望を持ちながら、それがなかなか実現しない。この一因は雇用が流動化しないためだ。かつての奴隷たちがそうだったように一度入った企業に勤め続けてしまう。「自由を求めて立ち上がるよりも、今の状況がましだ」という状況が作られている。

日本には解雇をしにくい、その結果中途採用がしづらい雇用制度がある。政府と企業、社会体制の集合的な意識の中で、雇用を固定化した形になっている。働くことに不満があるなら、大きな視点から今の制度の矛盾を理解し、飛び出る場合には準備を慎重にすることが必要だ。

ちなみに私は、調子に乗ってサラリーマンを辞めてフリーランスのジャーナリストになりその大変さによって、後悔と解放感の入り交じる不思議な状況に今陥っている。ローマ時代に蜂起した奴隷剣闘士スパルタクスのような暴発も、苦難と破滅の道だ。時代は違うが、フレデリック・ダグラスのように「学ぶ」こと、そして「情報」が、働き方を変える重要な契機になるだろう。

ジャニーズの話を、芸能ネタとして消費するだけではなく、私たちが働き方を考える契機にしたい。自由で、人それぞれが満足できる働き方を選べる日本社会ができればいいと思う。

最後に、滝沢氏も、キンプリの3人もどんな形でもいいから、またその素晴らしい才能で、私たちを楽しませ、幸せにしてほしい。ジャニーズの束縛から離れた、S M A Pの3人は、幸せそうに活躍している。残っても幸せになったかもしれないが、束縛から離れても幸せが生まれるかもしれない。人生は何が起きるかわからないのだ。

(この文章は2016年1月に、S M A P独立騒動をめぐり、言論サイトアゴラに掲載したものを修正したものだ。)

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