【書評】[復刻版]中等修身[女子用]ー日本が教育で捨てた価値の重み

石井孝明
ジャーナリスト

かつて日本に「修身」の授業があった

大日本帝国の崩壊まで、日本の初等・中等教育には「修身」(しゅうしん)という教科があった。国民として、日本人として、人間として、どのような人生を歩めば良いのか。そうした重い問題を子供達に教えていた。敗戦によって「国の価値観の押し付け」「軍国主義」との理由で、米国の指令によって無くなった。現在は小学校に「道徳」という時間が低学年にあるだけで、そのような教育は行われていないという。

[復刻版]中等修身[女子用](ハート出版、解説・橋本琴絵、2023年)。日本が最後に作った国定の高等女学校の修身教科書が復刻されたので読んでみた。敗戦の年の2月に刊行された。高等女学校とは5年制で現在の中学校、高校の13〜17歳の少女を教育した。

昭和10年代、高等女学校進学率は約2割で、女性の社会地位は低く、日本は貧しく、働く場所もない悲しい時代であった。そしてこの本は戦争の時代、しかも敗北の恐怖が強まっていた時代の本だ。当時の高等女学校の生徒達は、勤労動員に追われて実際にはほとんど使われなかったらしい。しかし当時の日本がどのような女性を理想としたかが窺える。この本で出てくる理想の若い女性を、ここでは「皇国女子」と呼ぼう。

この教科書には、当時の戦争の時代の価値観が色濃く出ている。ただし私には意外だったが、そこに「狂気」はなかった。私たち現代の日本人が、当時の日本に蔓延していたと思い込んでいる「国のために死ね」とか「全てを犠牲にしろ」という発想だ。それどころか、私の理解では「女性として自分を律し、家を整え、自分の立場を守ることによって、自らの幸せをつかみなさい」と諭(さと)していた。男女は平等というより、それぞれの役割があり、自分の社会での役割を考えるべきと、教えていた。

こういう「公(おおやけ)」の発想を今の日本は捨ててしまった。「自由」という名の自分勝手さを強調だけして、自らを律すること、学ぶことを忘れ、利益ばかりを追求することを正しいという社会ルールが生まれ、それで社会が動いてしまっている。その弊害が増えていることは、いうまでもない。

皇国女子の発想−日本の伝統の下に、自分を高め家を守る

3年分の修身教科書の中身は、いずれも以下の順序になる。「日本の使命」「日本の伝統の素晴らしさ」「自己修養の大切さ−偉人達に学ぶ」「家庭の大切さ」「女性に期待される母親としての役割−家と銃後を守る」というものだ。

今ではほとんど学ぶことのない、二宮尊徳、橋本左内などの思想家、歴代天皇の御製(読んだ和歌)などのエピソードが散りばめられて、読み物としても工夫されている。

そこで「女性は奴隷であれ」とは、全く言っていない。高学年用の修身教科書では次のようにまとめている。

「皇国護持の一念に徹して、無窮の生々発展に寄与する国家有用の人物を育成することこそ、実に私ども女子の最大の誇りであります」

「一家の中心は、いうまでもなく、家長であります。しかし家政を担当して、日常の生活において、斉家報国の務めを果たすのは、主として主婦であります」(斉家:さいか・家をととのえること)

男女には役割がある。皇国女子は、子育て、家政を主導し、その質を高めなければならないと繰り返す。これは今でも決して、おかしな発想ではない。そのために女性が主体的に学び自分の中身を高めることを、当時の政府は奨励した。

「かつて、女子には学問はいらないと言われた(中略)それは間違いであります。皇国女子は、今や国家活動の全般にわたって、広く深い知識・技能を持ち、あるいは家政を整え(中略)働いて後顧の憂いをなからしむるようにしなければなりません」

皇国女子は自らを学習によって高めることを求められたのだ。

母親が家と子供を守らない民族集団

こうした皇国女子の価値観には現代の視点から考えると、問題も、異論もあるだろう。しかし、こうした女性を否定して、男女平等、自己実現ばかりを志向して現代の日本はどうなったか。

一例であるが、男女同権のシンボル視された中絶問題がある。その数は敗戦後、3937万人という。もちろん母体を守るなど、やむにやまれぬ理由はあった例もあるだろうが、その殺害の恐ろしい数は言葉を失う。皇国女子の教育が続き、女性が知性と精神を磨けば、この「3937万人の殺人」はなかった可能性が高い。過去から断絶した教育を選択した日本は、さまざまなものを失っていないだろうか。

私は今、埼玉県南部に集住するさまざまな外国人集団の不法行為を調査、報道している。人種差別の意図はないが、事実に基づいて、次のことが言える。

「各民族集団の民度に明確に差があり、劣る民度の集団は異様でおかしい。その差の原因の大きな理由は母親の教育程度と知性による」ということだ。

中東系のある民族集団は、出稼ぎの不法移民なのに家族を呼び寄せて暮らしている。母国から切り離され、民族の伝統がない。そして母親が教育で全く役割を果たしていない。子供にただ食事を与え、放置している。この集団は、学問だけでなく、社会ルール、名誉、倫理を父母が教えていない。躾(しつけ)もほとんどしていない。

その結果どうなったか。その家周りはゴミだらけで汚い。子供の多くは日本の学校に行かなくなり、平日から子供達がウロウロしている。何も学ばないまま、曖昧な法的地位のまま、子供と家族の未来の展望は何もない。子供達が気の毒だ。この民族集団は、迷惑行為、不法行為で、日本でさまざまな問題を引き起こしている。(写真2)

(写真2)川口市内某所のある民族集団のアパートの前、ゴミが散らかる

皇国女子の価値観は消えつつあるが、家庭教育をする日本人と、そのような民族集団との差はあまりにも大きい。日本の教育の素晴らしさ、何も感じなかった義務教育の大切さを、彼らを見ることで私は実感した。かつての教育の伝統が残る今のうちに、日本は教育と社会を立て直すチャンスはあるだろう。

女性の偉大な役割を見つめ直す本

作家の橋本琴絵さんは本書で、皇国女子の教育の意味、高等教育の歴史と日本の現状の問題を分かりやすく解説している。彼女は現在4人の子供を子育てする母で、教育を実践中だ。

彼女の本書で教育は一人ではできず「歴史と伝統によって陶冶された精神の凝縮」が必要であると痛感しているという。そして、この本を読んでほしいとねがい、「それが相続の始まり、国家の根本」と解説をまとめる。それに私も同意する。

読者におかれては、この本を手に取りかつて日本が作ろうとした「皇国女子」の姿を思い浮かべてほしい。現代や他民族との対比の中で、自ら、そして男女問わず子供の教育のヒント変えられるだろう。そして日本の捨ててしまったものの大きさ、大切さが、実感できると思う。
石井孝明
経済記者 with ENERGY運営
ツイッター:@ishiitakaaki
メール:ishii.takaaki1@gmail.com

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